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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第86回・7月4日に生まれて

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【閑話休題】第86回・7月4日に生まれて

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-07-04 17:30:00]

【閑話休題】第86回・7月4日に生まれて


▼学生時代に、夏休みをフルに使って、アメリカ中をバス旅行したことがある。移動はすべてグレイハウンド(最大手のバス会社)の長距離バスだ。町での泊まりは安宿なら10ドル。一日二食と決めていた。できるだけ宿代を浮かすために、夜行バスを使い、車中泊をするように心がけた。

▼ロサンジェルスを基点に、サンフランシスコ、シアトル、バンクーバー。カナダを横断して、ウィニペグ、トロント、モントリオール。アメリカにまた戻り、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、アトランタ、ニューオーリンズ、サンアントニオ、フェニックス、エルパソ、サンディエゴ、そしてロサンジェルス。要するに、北米大陸をざっくり外周した格好になる。まったくのバックパッカーだ。

▼食事は2カ月間、ほぼ同じものばかりだ。面倒臭いのと、所持金が気になったからだ。南部ではハンバーガーとチリビーンズ(チリコンカーン)。北部ではサンドイッチとクラムチャウダーと決まっていた。選んだわけではないが、結局そうなった。あとはひたすらコカ・コーラだ。日本に返ってきたころには、げっそり痩せていた。

▼ニューヨークに入ったときのことだ。マンハッタン島の南端にバッテリーパークがある。その近くから、スタテン島やエリス島へのフェリーが出る。「自由の女神」に行きたかったので、リバティ島行きのフェリーに乗ったのだ。私は気分よく甲板で海を眺めていた。田舎者丸出しで、「自由の女神」が近づいてくるのをぼんやり見ていたのだが、異変に気づいた。近づいたと思ったら、また遠のいていく。慌てて行き先を確認してみると、スタテン島行きのフェリーだった。やり直しだ。私の人生は、いつもこうだ。一回で、首尾よくうまくいったことがほとんどない。

▼ところが、その間違いで大切な思い出が一つできた。甲板で右往左往している私と同様、何やら同じように困惑して揉めている老夫婦がいたのだ。白人だが、かなりの年配である。「間違えた(mistook)」という言葉が聞こえたので、話しかけてみたところ、私と同じく、リバティ島行きのフェリーに乗り損ねたのだという。

▼そこで、「一緒にもう一度乗りなおしましょう」ということになり、話があった。バッテリーパークまで戻り、コーヒーを飲んで、再び三人でリバティ島行きのフェリーに乗りなおした。その間、いろいろと老夫婦は話をしてくれた。

▼二人とも、ポーランド系移民だった。若い頃(戦前)、着の身着のままでアメリカにやってきた。二人であらゆる仕事をしながら生計を立て、ついには生花用のトラック運送会社を軌道に乗せた。子供たちはやがて成人し、1人は会社のあとを継いだ。ともに今は引退し、ようやく二人で旅行を始めたが、ここ何十年、カンザスから出たことがなかったという。

▼アメリカに入国して以来、二人で旅行をしたことは一度もなかったので、まるで初めて遠足にいく子供のような気分だと話していた。そして、一番最初の旅行先に選んだのが、「自由の女神」だった。彼らが移民としてやってきたとき、夢と不安を胸一杯に抱きながら甲板に立ち続け、アメリカの陸影が見えてくるのを待ち続けていた。そのとき、最初に目に飛び込んできたのが、この「自由の女神」だった。

▼「自由の女神」を、私のような観光客が見るのと二人が見るのとでは、土台、その意味が違う。私たちが乗ったフェリーは、今度こそ間違いなくリバティ島に近づいた。老夫婦は、それを何も言わずに、ただ、じっと見つめていた。若い日の記憶が蘇っていたのだろう。

▼聞けば、二人とも7月4日生まれだという。移民には極貧の人が多かったから、親の顔も知らないというケースはざらだった。それで、自分の誕生日さえ分からない者も大変な数に上った。そのような場合、入国の際には生年月日を7月4日と書くのが普通だった。7月4日はアメリカの独立記念日である。老夫婦もそうした人たちだったのだ。

▼アメリカという夢と自由の国に運命を託した移民たちは、アメリカの誕生日と自分の人生を重ね合わせ、苦労に耐えてきたことだろう。夢破れた者も数え切れないほどいたはずだ。

▼私は、なんとなくその日に生まれ、なんとなく日本人として生きてきた。しかし、アメリカには、アメリカ人として生きることを選択し、新しい自分の誕生に賭けた人々が数多くいる。国の成り立ちはそれぞれだが、「なんとなく」生きてきた私に比べて、彼らが二倍の価値ある人生を送ってきたことは間違いない。それには、どこかうらやましさすら覚える。「自由の女神」の意味が、少しは分かったような気がする一日だった。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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