【日刊チャート新聞記事紹介】
[記事配信時刻:2013-07-17 17:45:00]
【閑話休題】第94回・遠くで山鳴りが聴こえる(前編)
▼なぜ山に登るのか、という問いに対して、「そこに山があるから」と答えたのは、英国の登山家ジョージ・マロリーだ。生前の本人を知る多くの人が、このそっけない答え方に、繊細なマロリーの性格から言って、彼が言ったとは考えられないと、異口同音に回想している。
▼そのマロリーは、1924年に世界で始めてのエベレスト登頂を目指したが、北東稜の上部、頂上付近で消息を絶った。6月8日、あるいは9日のことだ。マロリーの最期は死後75年にわたって謎に包まれていたが、1999年5月1日に国際探索隊によって遺体が発見された。マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは、闇の中である。
▼エベレストの山頂付近、数百メートルの範囲には、合計150体以上の遭難者の遺体が散在している。登頂するにはネパール政府に登山料を支払うのだが、5つの登山ルートの中で一番安いルートでも1人25,000ドルかかる。1ドル=100円としても、250万円かかるわけだ。ましてや、遺体を頂上近辺から降ろすということになると、通常の登山以上の装備や人員が必要になってくる。例の80歳を超えて達成した三浦雄一郎氏のエベレスト登頂には、億円単位の費用がかかったと言われている。
▼また、海面と比較し酸素濃度が3分の1という過酷な環境では、トレーニングを積んだ登山家でも48時間以上は耐えられないと言われている。氷点下27度で、頂上付近では風速320キロメートルの爆風が吹き荒れている、そんな過酷な環境で、死体の回収を行なう余裕はどんな人間にもあり得ない。だから、事実上、遭難者の遺体は現場に遺棄されたままになっている。たいていは登頂直後、下山途中で力尽きたケースが多いそうだ。
▼今は、インターネットでその栄光と裏腹の残酷な現実を、なまなましいカラー写真でいくらでも閲覧できる。戦後の遺体については、原色の化繊の登山服やザックが多いので、色が劣化せず鮮やかなままだ。それだけに胸が痛む。
▼2009年、片山右京氏が事務所スタッフらと合計3人で12月の富士山登頂を試み、遭難。同伴者2名が強風に煽られ、テントごと滑落。負傷、パニックなどを起こしていた二人を残して、片山氏は単独下山。二人は、けっきょく死亡していた。事務所スタッフの一人は、片山氏のヒマラヤ登山に何度も同行した登山のベテランだった。
▼装備の問題、事前の体調やスケジュールを始め、ちまたではさまざまな議論の応酬となった。そもそもが無謀だった。いや、南極行きの前で、ブリザードを前提として、敢えて悪天候で決行したのだといったような議論。幸い携帯が通じて救援要請が出来たのだから、自分は残った二人とともに踏みとどまるべきだったという議論。どこまでが事実か分からないだけに、私のような門外漢が意見など述べる資格もない。
▼しかし、このケースのように、連絡がつく、つかないという点が争点になる場合は、実は非常に少ない。たいていは高山、深山の中で携帯など使えず、孤立無援の中で遭難にどう対応するかというケースがほとんどだ。
増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄
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