【閑話休題】
[記事配信時刻:2018-01-19 16:01:00]
【閑話休題】第505回・感情は電磁的現象である
▼それは、実在するからこそ、言葉がある。幻も、実際に存在するのだ。だから、幻という言葉がある。幽霊は、あるとかないとか言う以前に、幽霊という言葉が存在する以上、実在すると考えて当たり前だ。この世に無いものは、言葉に表されていないのだ。逆に言葉があるかぎり、必ずそれは実在する。
▼「あなたの心は何色ですか」と聞かれて、だれがこたえられるだろう。だれも、こたえられはしないのだ。しかし、だれもが自分に、「心」というものが存在することに疑問を持たない。
▼心は見せることができないのだが、心という言葉がある限り、心はあるのだ。それを、脳の神経細胞など、医学的に分析するくらい愚かなことはない。
▼ここに心の使い方で、一番注意しなければならないことがある。怒りの制御だ。仏教では、人殺しよりも罪が重いとは、以前書いた通りだ。要するに怒りが、すべての凶事の淵源だからにほかならない。
▼わたしの家では、家内がかなり強い霊感の持ち主だ。いつもポーカーフェイスの長男も、(察するに)かなり霊感が強いほうだろう。お首にも見せないが、どうやらそのようだ。
▼実は、5年前、恐ろしい光景を目の当たりにしたことがあるのだ。その夜、長男の不手際(というより、不作為の失策、つまりやるべきことをしないで問題が起こったのだ)で、家内が怒り心頭に発し、長男の部屋に飛び込んで、猛烈に叱り始めたのである。
▼家内にしてみれば、それまで積年の恨みを晴らすかのように、烈火のごとく罵倒し始めたのである。一方、長男は、先述通り、ポーカーフェイスの男だから、一見すると平静を装っていたのだが、間違いなく心の中ではめらめらと怒りがこみあげていたはずだ。
▼しばらくすると、天井の蛍光灯が、パチパチと不規則に点滅し始めた。次の瞬間、バリバリという音とたてながら、はっきりと明滅を繰り返し始めたのだ。その時間、10分ほど。家内は、罵倒するだけ罵倒し、捨て台詞を残して部屋を出た。すると、蛍光灯は、何事もなかったかのように明滅を止めた。以降、その蛍光灯の使用はまったく問題なかったのである。
▼さて、家内の怒りが電気系統に影響したのか。それとも、内に秘めた長男の憎悪に近い感情が、そうさせたのか。それとも、両者がプラスとプラスで、とてつもないエネルギーを衝突させていた結果、蛍光灯が狂ったのか。いずれかはわからない。が、この時から、わたしは、怒りというものが物理的現象を引き起こすほど、恐ろしいことなのだ、と思うようになった。
▼もともとわたしは短期で、瞬間湯沸かし器に近い。それだけに、怒りの制御は、大変苦労する。いまだにこの苦労は続いているが、なんとかなっている。
▼まだ我が家の醜態くらいならかわいいもので、もっと恐ろしい事態を引き起こすケースもあるのだ。
▼加門七海氏の本に「心霊づきあい」というのがある。有名人たちとの対談集だが、彼らの実際のオカルト体験談が語られている。その中に、古代民俗研究所代表の大森亮尚(あきひさ)氏の対談が含まれていた。
▼民俗学というのは、幅広いのだが、たとえば伝統芸能といったものなどは、すべて異界に通じている。芸能とは、そもそもが神に捧げるものから発達してきたのだから、当然である。
▼そうした民俗学を研究している大森氏は、やはり自身の「怒り」というものを徹底的に制御しているという。
▼大森氏には、「非のフォークロア」や、「本朝三十六河川」、「妖怪文化の伝統と創造」などいろいろがるが、インタビューした側の加門氏が不思議な経験をしている。
▼ある集まりに出席したところ、時間があったので、カバンから大森氏の「日本の怨霊」という本を取り出そうとしていた。カバンを開けた瞬間に、隣に立っていた見知らぬ女性が、いきなり振り返って、「あんた一体、何持ってんの?」と言ったそうだ。
▼「あんた、そのカバンの中からいろんなモノが出てくるのがわからないの? 平気なの、あんた?」とまくしたてられた由。
▼加門氏は、本を取り出して、このことかと聞いたようだが、加門氏自身は、大森氏が鎮魂のために書いたと受け止めていたので、「そう悪いものではないと思うんですけど・・・」と言うと、その女性は「鎮魂のためじゃないよ。それ書いた人、もう取りつかれてるよ。前世でなにがあったかしらないけど、そういうモノのために動くように生まれて、生かされているんだよ。」
▼実は、大森氏にも不思議な経験がたくさんあるようだ。もともと民俗学から出発して、オカルトにまで手を広げているわけだが、師匠は国文学者で著名なあの池田彌三郎である。池田自身も「日本の幽霊」などを書いているが、自身の父親の実体験で「田中河内介(かわちのすけ)」の話がある。
▼「田中河内介」は、幕末に実在した勤王の志士なのだが、ここでは割愛する。この話を書いたり、話をすると昔から「さわり」があるという、いわくつきの怪談だからだ。芥川龍之介や泉鏡花など当時の有名人が、大正時代初頭、東京の京橋にある画伯堂に集って、怪談夜会「百物語」を行った。そこで異常な事件が起こっており、その発端もこの「田中河内介」の話だったのだ。池田彌三郎の父親は、その会に列席していたので、その目で実見していた体験談である。
▼さて、池田の弟子、大森氏の話に戻るが、ある時大学の講義の最後に、この「田中河内介」の話をしたという。そのあと、午後から大阪で会議があったので発表をしていたとき、集まった人たちの中に、ちらほらと、大森氏の肩越し、背後を除くような仕草をしている人がいた。
▼休憩時間で、大森氏が彼らに聞いてみると、口々に「今日は、大森さん、えらいもんもってきたね」「わたしもさっきからずっと気になって」・・・要するに、大森の左肩に、侍の生首が載っていたというのだ。
▼総髪の侍で、ものすごい憤怒の表情で載っていたそうだ。わたしに意見したり、批判的な意見を言おうものなら、その首が飛んできそうな迫力だったので、怖くてその人たちは、ちらちらとみていたそうだ。
▼ということは、大森氏には、それが田中河内介かどうかは別としても、怨霊的なものが憑いている、もしくは守護している、ということになりそうだ。ただ、この扱いが面倒だ。怒りが問題なのである。
▼岐阜にいる有名な霊能者にあったときのこと。この霊能者はまず大森氏に背を向けて、祭壇に祝詞をあげていたようだが、いきなりぽーんと空中に飛び、クルっと一回転して、大森氏に向き直った格好で、ストンと降りてきた。
▼「ようきたな」と霊能者が言ったその声色は、霊能者自身のそれではなかったそうだ。そこで三つほどの川の名を指定され、その水神を供養してくれ、とオファーを受けた由。面白いのは、「今日は、忙しいからこれで帰る」といって、霊能者はまたぽーんと空中に飛び、クルっと背中を見せるように回転して、元通りすとんと座ったそうだ。
▼大森氏は、うわーっと驚き、ほとんど逃げ腰だったが、霊能者の弟子たちに、とどめ置かれて、一部始終を見分させられたとのこと。
▼正気に戻った霊能者によると、「大森さんに憑いているのは、どうしても見えません。真っ黒に、黒光りしています。ふつうはたいてい、だれがいるか見えるんですがねえ。」という。「ひょっとして、大森さん、なにか怨霊と関係されていますか?」と聞かれたそうだ。
▼それで大森氏は、自分は怒ってはいけない、と思い始めたそうである。実際、過去を振り返ると、怒った場合に、なにかが発動してしまうらしいと気が付いたのだ。
▼すでに20年以上も前のことだが、阪神タイガースが優勝した年がある。大森氏は巨人ファンだ。阪神ファンの人に誘われた、いつも飲んでいるスナックに招かれた。楽しく飲もうと思っていたのに、阪神ファンが浮かれ出し、「土下座せえ!」と悪ふざけしたので、大森氏は「そんなつもりで来たんじゃない」と激しく起こり、仲間たちとさっさと出てしまった。翌日、そのスナックが丸焼けになった。
▼その後、怒ったら、その場所が火事になるということが、二回続いたという。「おまえ、放火したんじゃないのか」と友人たちに言われるほどだった。こういうことが重なり、大森氏は絶対に怒らないようにしているという。荒れて、とんでもないものが出てこないためにである。家でも、奥方の言うことには、絶対反抗せず。おとなしく全部言うことを聞くようにしている、という。
▼霊能者があぐらをかいたその姿勢のまま、ぽーんと空中に飛んでくるっと回るなどというところは、実際に見ない限りはおよそ信じがたい光景だが、高野山の坊主が宙に浮いたのは、わたしもテレビで見たことがあるので、嘘八百とは言い難いのだ。
▼以前、ここでも書いたと思うが、今は亡き児玉清がMCで、ゲストに西村晃を迎えての高野山でのルポ番組だが。数々の異常な現象(坊主が祈祷をして、異常な現象を巻き起こす)をカメラに収めたものだった。ある堂宇の前で、八の字に立ち並んだ坊主たちが読経をする。その扇の要(かなめ)の位置に、座禅した一人の坊主が、柴燈護摩をたいて、一心不乱に真言を唱えるのだが、40分も経過するうちに、1mは宙に浮いた。児玉も、西村も腰を抜かしていた。
▼それ以前、10-15年前に一度カメラが入ったことはあるが、それ以来初めての現場ルポだったと覚えているが、その後、高野山はこの件に関してまったく沈黙を守っているから、世間で知っている人は少ないはずだ。あれを見てしまっているので(たまたま両親と一緒にみていて、一同ぶったまげた記憶がある)、大森氏の話を出鱈目だとはとても言い難いのである。
▼この空中浮遊の例も、考えてみればある種のエネルギーが使われているはずだ。わたしの家内と長男の衝突事件は、あきらかに電気的現象として現れたのだが、空中浮遊の場合は磁力が発生したとすると、そのプラスとプラス、あるいはマイナスとマイナスを衝突させることで、空中に浮遊したのかもしれない。
▼実際、ガラスの密閉容器の中に紙コップを入れたとしよう。そこに穴をあけて一定の音波を両方から発信すると、共鳴することによって紙コップが富裕する。UFOの飛行原理は内燃機関の動力を持っていないと推察されるので(無音であるという目撃現象がほとんどである)、この磁力を極限まで活用する技術を持っているのかもしれない。
▼いずれにしろ、人間という霊長類も、その感情というものは、もしかすると電磁的現象そのものなのかもしれない。心霊現象などで、パソコンやデジカメ、ライトなど、電気系統がことさら激しくダメージを受けることが多いことからもそういうことは考えられるかもしれない。その電磁的現象の最も強力なものが、怨霊ということになる。
▼さてさて、確かに、怨霊というのは、味方にすると強いが、強すぎて、扱いが厄介である。神田明神然り、天神然りである。
▼怒りは、そもそも無謀を以て始まる。結末は後悔である。無謀こそ避けなければならない、ブッダはこの怒りについて、こう述べている(とされている)。
怒りにしがみつくのは、誰かに投げつけるために、真っ赤に燃えている炭を掴むようなもの。火傷するのは、あなた自身だ。
以上
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