【閑話休題】
[記事配信時刻:2018-04-06 16:16:00]
【閑話休題】第516回・スタイル
▼依然、閑話休題で、将棋打ちの升田幸三のことを書いたことがある。実力制第四代名人だ。わたしが、棋界にあっては最も好きな人物だが、言うことが昔からふるっていた。
▼その升田の名言の中にこういうものがある。
「将棋打ちなんぞ、いらぬ商売だ。金をもらっている以上、面白くなければ意味が無い」
▼面白いという言葉には、いろんなことが含まれているだろう。あっと驚くような手、感動的な逆転、鮮やかな攻め込み方。いずれにしろ、将棋という技芸の醍醐味をまざまざと見せつける世界を、あの小さな棋盤上に展開させるのだ。将棋と言う世界に寿命があるとしたら、その寿命を200年縮めた男と言われたくらい、数多の新手を生み出した傑物である。
▼現在、高校生棋士・藤井聡太六段旋風が棋界を揺るがしているが、彼と対戦した人たちは一様に、ゲームソフトに組み込まれたいわゆる「定石」が完璧に脳の中に刻み込まれた、機械的とすら言えるほどの手堅い打ち方をする、と述べている。その、ゲームソフトに組み込まれている「定石」の多くは、升田が編み出したものだ。
▼その升田の言葉をそのまま置き換えれば、「投資顧問なんざ、いらぬ商売だ。」ということになる。それはそうだろう。個人投資家が、一人ひとり勉強して、力をつけなければどうにもならないからだ。誰かがこの銘柄は良いと言ったからといってそれを真似し続けていても、なんの向上もない。真似や大事だし、すべては模倣から始まるが、いつまでも、ではない。銘柄が大事なのではない。なぜ、そうするのか、を学ばなければ投資顧問をやって、裸踊りまでしている甲斐がない、というものだ。
▼そもそも、いくら他人の真似をしたところで、結局実弾の金をつかって勝負を張るのは、投資家自身にほかならないのだ。
▼そこで、「投資顧問なんざ、いらぬ商売」なのだが、「金をもらっている以上、面白くなければ意味が無い」のだ。「え、儲からないと意味がないんじゃないの?」と言われそうだが、違う。なぜなら、投資顧問である以上、「儲からなければ、そもそも存在理由すらない」からだ。投資家の立場からすれば、投資顧問なんだから、儲けて当たり前だという恐るべき大前提があるにほかならない。
▼ということで、わたしは結構、面白がられるように実演を供しているつもりだが、人によっては、不快な判断もあるかもしれない。技術論もさることながら、かなり地でいっている部分も多いからだ。
▼投資判断というのは、さまざまな世界がある中でも、とりわけその人間の思想・志向、技術論のみならず、哲学や人格、性格に至るまで裸にしてしまう側面があるので、恐ろしい。
▼身内の話で恐縮だが、先日八重洲のルノワールで、会員向けのセミナーを行った際、宮島所員とわたしのダブルヘッダーだった。宮島所員は、「石橋を叩いて、渡らない」とときどき会員からお叱りを受けると述べていた。わたしは、さしづめ「石橋を叩きながら、全力疾走で走り渡る」タイプであるようだ。
▼宮島所員は「ゼロヨン」で、わたしは「赤備え」で、元本を決めて、運用競争をしているわけだが、今年は「赤備え」はさんざんである。いまのところ「ゼロヨン」の圧勝。
▼問題はそこではない。勝ちっぷり、負けっぷりの違いに、両者の違いが非常に鮮明に出ている。
▼宮島所員の場合、ご覧いただいてよくおわかりだろうが、キャッシュがふんだんにあり、ほとんど実弾を使わない。が、使ったときには、大当たりである。そして、2-3月の急落では、オールキャッシュで乗り切った。
▼いまだに、10%以上のリターンは不動にして盤石だ。人によっては、これは「ずるい」と言うかもしれないが、そうではない。彼の技術論では、恐らく「やってはいけないタイムゾーンでは、やらない」という方針がしっかりしているのだ。
▼会員から、「なにかもっと買わないのか」と批判されることもあるのかもしれないが(あまり聞いたことはないが)、彼はいっかな動かない。はっきりしているのだ。これを、偉大な先人の名言をそのまま引用してくれば、こうである。
「勝てるゲームで、プレイしろ(GEの超人経営者、ジャック・ウェルチ)」
▼宮島選手はジャック・ウェルチのやり方を、文字通り実践しているようなものである。この「やらないときには、絶対にやらない」というのを貫き通すのは、大変なことだ。個人個人が、誰にも知られずに、プライベートにやるならできる。が、「ゼロヨン」も「赤備え」も、人前で大っぴらに裸踊りをしているのだから、これは衆目というものをどうやったって気にせざるを得ないからだ。というより、「見せる」ことが目的だけに、精神的負担は想像以上のものがある。一撃必殺・一撃離脱法ともいうべき、実にスマートな戦いっぷりだといつも思っている。
▼それに比べると「赤備え」は、短い一時期を除けば(相場の天底などの転換点付近)、始終フルポジションに近い。一応ポジション管理を重視しているから、微妙に繊細に、ポジション比率の変更を繰り返して、このポジション管理がいかに重要かを訴えているわけだが、それにしても、常に戦っている。
▼これは、資金枠を遊ばせていると「なにやってんだ」というそしりを受けるのが恐ろしいという性格上の弱さや、現金があったら買いたくてしょうがないという性癖が恐らく一番大きな要因だろう。これを結局、平たい言葉で言えば、「スタイル」ということになる。
▼かつて、司馬遼太郎が新選組を題材にして、「燃えよ剣」という小説を書いた。新選組は維新以降、逆賊の汚名を着たために、長らくかいまみられることが無い武装集団だったが、最初に新選組を世に知らしめた作家は、北海道出身の子母沢寛だ。
▼子母沢寛は、当時を知る生き残りの老人たちから取材をして、1928年昭和3年に出版した『新選組始末記』が、その嚆矢(こうし)である。その後の多くの新選組に関する小説の類は、ほぼすべてといっていいほど、子母沢寛の『新選組始末記』という、小説とも、随筆とも、史論ともつかない、不思議な読み物がベースになっている。司馬の「燃えよ剣」もそうだ。
▼その中に、剣の扱いについて、一番隊長・沖田総司と、新選組副長・土方歳三の違いについて書いている。
▼それによると、沖田の剣というのは、華麗の一言だったそうだ。なにしろ、何人と斬り合いをしても、まったく返り血一つ浴びなかったという。見事なくらいスマートな剣術だったのだ。
▼それに引き換え、土方は、真剣による斬撃ではめっぽう強かったが、剣術自体は喧嘩そのものだったようだ。しかも、敵を倒した後の土方は、全身、相手の返り血を浴びて、真っ赤だったという。
▼例えが、恰好良すぎるかもしれないが、宮島所員とわたしの比較をすると、これが結構当てはまりそうだ。当然、わたしは、血塗れのほうである。宮島所員が、狙撃兵(スナイパー)だとすれば、わたしはほとんど銃剣突撃兵に近い。
▼共通している重要な点は何かというと、銘柄に対する取り組みかたは違うものの、銘柄選択以上に大事にしているのが、ポジション全体の保全・管理ということにほかならない。すべては、戦争全体を勝利に導くための戦略を重視しているということだ。個々の戦いは重要だが、そもそも戦い全体を勝ち抜くことが目的であって、目の前の敵一人を相手にしているのではない。
▼宮島所員の場合、そこでキャッシュという最強兵器を最大限に使う。「なんでキャッシュをもっと使わないんだ」という考え方の人というのは、キャッシュという兵器の強さ
を知らないのだ。キャッシュの恐るべき強さは、「使わないこと」にあるからだ。恐らく、これは、剣術などでいえば免許皆伝どころではなく、一子相伝の「奥義」に相当するツボであろう。
▼私の場合には、日経レバレッジETF 1570や日経ダブルインバースETF 1357とキャッシュを組み合わせて、ロング&ショートの配分比率でポジション全体の評価の維持管理をしようとする。そして、勝てそうな戦線を探して、延々と戦い続けるのである。ここだと分かったところに兵力を集中していく。その決勝点が見つかるまで、結構こちらには戦死者(投げ)や負傷者(含み損)が続出する。そのため、致命的ダメージを被らないように、ヘッジとキャッシュの配分比率で、戦線全体が崩壊しないようにこれ努めているわけだ。
▼会員の皆さんは、どういった自身のスタイルをお持ちだろうか。自分はこうだ、とそのイメージがつくようになれば、運用で善戦を持続することができる域に、あなたの実力は到達しているはずだ。剣術が畢竟「型」の習熟にかかっているのと、それは同じだからだ。
増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄
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