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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第103回・「運命の選択」(後編)

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【閑話休題】第103回・「運命の選択」(後編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-07-30 18:00:00]

【閑話休題】第103回・「運命の選択」(後編)


▼ネイとダヴーは、大の仲良しだった。選択は違ってもこれは終生変わらなかった。脇は甘いが人情型のネイと、首尾一貫した硬骨漢のダヴーは、出身も違い、ものの考え方もまったく異なっていたが、どういうわけか馬があった。ただ、ネイがフランスという国家のために意思を貫こうとしたのに対して、ダヴーは共和制とナポレオンに対する思いが絶対的信仰のように強かった。この違いが、それぞれの人生における選択の差となって出たようだ。

▼ナポレオンのエルバ島脱出の報を聞いたルイ十八世は、ネイにパリ入城を目指すナポレオンの討伐を命じた。ネイは、「ナポレオンを鉄の檻に入れてくる」と豪語した。実際にナポレオンや数百名足らずの近衛兵と対峙したところで、指揮下の将兵に銃を構えさせた。発砲を命じたが、誰も撃たない。それどころか、雪崩をうって全軍がナポレオンに合流してしまい、ネイはたった一人残された。ナポレオンが勝ち誇ったように歩み寄ってきて、「おれについてこい」と言った。合わせる顔がなかったネイは、今度はルイ十八世を裏切った。あくまで拒否すればよかったのだが・・・。

▼パリに帰ったナポレオンは、ダヴーを追放先から呼び戻した。そして、大陸軍の再建を命じる。ナポレオンは先制攻撃を考え、ベルギーに駐屯する英軍(ウェリントン)と、プロシャ軍(ブリュッヘル)が合流する前に、各個撃破してしまおうとしたのだ。ダヴーは軍を結集し、自ら一師団の指揮を申し出たが、ナポレオンは信頼できる者が少ないだけに、ダヴーをパリの防衛に残した。一方、ネイは前線に連れて行った。ネイは、死に場所を求めていたようだった。

▼1815年6月18日。ワーテルローの会戦では、ナポレオン軍は英軍・プロシャ軍が合流していない間隙を使って、まずプロシャ軍を叩き、これを撃破。三分の一をこの追撃に向かわせた。残軍を率いて、こんどは英軍と戦火を交えた。これが難物だった。ネイは血気にはやり、胸甲騎兵5000騎の大兵団を率いて、丘陵の尾根に展開する英軍歩兵師団に十三波の強襲を試みた。

▼騎兵が出動するときというのは、あらかた大勢が決まった段階で突き崩すのに使われるが、このときのネイは判断を誤った。焦ったのか、早すぎたのだ。英軍歩兵師団は崩れなかった。これで仏軍は予備兵力を使い切ったことになる。が、この強襲で、実は英軍の戦線は崩壊寸前にまでなっていた。ただ、こらえていただけ、と言っても過言ではなかった。

▼そこに、敗走したはずのプロシャ軍が、仏軍別働隊の追撃を振り切って戦場に到着し、英軍に合流。形勢は逆転した。仏軍は総崩れになって敗退。潰走する仏軍将兵の中で、ネイが狂ったように絶叫しながら、将兵を押しとどめようとしたが、無駄だった。もはや、流れを変えることは出来なかった。ナポレオンにとっては再起のための一戦に敗れ、連合国はナポレオンにとどめの一発を打ち込んだ。こうして、ナポレオンの百日天下は終わったのである。

▼ダヴーは、ワーテルロー敗戦の報を聞くと、英・プロシャ連合軍がパリになだれ込んでくると判断。手勢を率いて直ちに出陣した。小部隊だけで、なんと勝ち誇るプロシャ軍を撃破するという神業を見せつけている。ダヴーが立ちはだかったことにより、連合軍はパリ突入を断念した。

▼ナポレオンは退位し、大西洋の孤島、セントヘレナへ流刑となった。ダヴーは降伏し、再び追放された。それでもルイ十八世の怒りは収まらず、裏切り者のネイを、みせしめのために軍法会議にかけた。裁判では、ダヴーは身の危険も顧みず、自ら出廷してネイの弁護に奔走したが、判決は最初から決まっていた。ダヴーは、警察の監視下に置かれ、すべての役職を剥奪され、一時は逮捕されたりもした。

▼けっきょくネイは、銃殺刑となった。兵士が目隠しをしようとすると、「私が、ずっと銃弾を見据えてきたことを知らんのか」と言って拒否。ネイの死後、未亡人が墓碑に「五十年の栄光。一瞬の錯誤」と刻んだ。ルイ十八世に組みしたことが錯誤だったのか。それとも、一度は裏切ったナポレオンに再びついたことが錯誤だったのか。ネイの処刑から六年後、絶海の孤島でナポレオンは病死する。その翌年、ダヴーも二人の後を追うように、結核で死去した。ダヴーはネイと同じ墓地に葬られている。「大陸軍」でも突出した二人の墓には、今でも献花が絶えない。

▼ネイとダヴーは、どちらも私心のない生粋の軍人だった。ネイは、ひたすらフランスが外国軍に蹂躙されることを避けたかった。その意味ではフランスを愛する思いにブレはなかった。ダヴーは、共和制とナポレオンへの忠誠という点で、一貫してブレがなかった。しかしその運命の選択は、二人のその後をまったく違う結果に運び去った。

▼人は、ときに運命を避けようとした道で、しばしばその運命に出会う。ドイツの哲学者、ショーペンハウエル流に言えば、「運命がカードを混ぜているとしたら、カードを切るのは、けっきょく私たちだから」なのだろう。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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