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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第111回・時代の扉を開く

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【閑話休題】第111回・時代の扉を開く

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-08-09 17:45:00]

【閑話休題】第111回・時代の扉を開く


▼新しいアイデアほど、簡単に人々の心を閉ざすものもない。産業革命の走りとなった、蒸気による動力という概念は、アメリカのロバート・フルトンが世界で最初の実験に成功したが、当初そのアイデアはまったく世の中に受け入れられることなく、不遇の時代が続いた。

▼1797年、フランス大革命後、破竹の勢いのナポレオンは宿敵である英国侵攻の策を練っていた。当時、フランスは革命精神が横溢(おういつ)し、新しいことに貪欲であった。古い概念を破壊していくことに、なんの躊躇もしていなかった。ナポレオンはその象徴的存在であった。

▼フルトンはそのフランスへと渡った。フランス政府に世界初の手動式潜水艦であるノーチラス号を設計して売り込んだが、もともとこれがいけなかったのかもしれない。あまりにも、当時の常識からはかけ離れていたのだろう。ほとんど狂人扱いだった。

▼そこで、もっと現実的な発明を売り込んだ。英国侵攻のための兵員輸送用曳き舟として、蒸気船を売り込んだのだ。この時知り合った駐仏米国公使 ロバート・R・リビングストンから援助を受け、1803年8月9日に船長31メートル、船幅2.4メートル、左右舷側に3.5メートルの直径の外輪(外車)を備える外輪船(外車船)を造りセーヌ川で試走させた。時速2.9マイルで流れをさかのぼる能力を示した。これは画期的だったが、この実験結果があっても、フランス政府は冷淡だった。

▼当時、フルトンを謁見したナポレオン(皇帝に即位する直前)の言葉が残されている。

「なんだって? きみは船を風や流れに逆らって動かすって? おまけに船底に鬼火を焚いてそれをやるって? 失礼する。そんな馬鹿話を聞いている時間は私にはないのだ」

▼フルトン、がんばれ。何か方法があるはずだ。商品計画はある。信念もある。利益もきっと生み出せる。建白書の文章がまずいのか。いったい何があと必要なのだろう。実現するのに必要なものがあれば、たとえ石ころひとつでもそれを見つけるのだ。君がやらなければ、きっと誰かに先を越されるだろう。200年も後から、こうエールを送りたくなる。

▼あのナポレオンでさえ、間違いを犯すのだ。知らず知らずのうちに新しいものを否定し、現状を維持しようとするのが人間だ。とっぴなアイデアは一笑に付される。独創的で、冒険的な提案は否定される。自分の理解を超えた意見を、最後まで人は聞こうとしない。

▼私ちも新しいものに対して、「とんでもない」「馬鹿馬鹿しい」と否定し、現状を維持するだけの姿勢になっていないか、自分を疑う必要がある。風変わりなアイデア、突拍子もない意見、奇抜な発想は、一度や二度、声を挙げたくらいで受け入れられることはない。ましてや、世の中に出ることもまずない。

▼新しいことを始めるとき、周囲の皆が分かってくれなかったり、現実的でないと笑われたら、自分は正常だと思うことだ。一度や二度の挑戦は、挑戦とは言わない。

▼1806年、失意のうちに、英国に渡ったフルトンは、クラーモントという蒸気船を完成させた。そして、1807年、北米ハドソン川での試運転にまでこぎつけた。初航海では、始動直後に船体左右2つの直径4.8メートルの外輪が突然止まってしまった。やがて、調整を済ませた新造船は順調に航行を開始した。船上の招待客も、蒸気機関の騒音を除けば快適な旅を楽しんだ。

▼計32時間で150マイルを逆風で走ったことを計算すれば、平均時速は4.7マイルである。ニューヨークとオールバニを普通は4日間かけて帆走し、早い船が最適の風を受ければ16時間で快走していた。それを考えれば、クラーモントの32時間は驚くほど早い訳でもなかったが、帰途での30時間という記録とあわせれば、向かい風でも無風でも蒸気機関さえ動けば確実に汽走できることが証明された。これは大成功だった。

▼公開実験の成功から2週間後、ついに営業運行を開始する。政府高官であったリビングストンの力もあって、ハドソン川だけでなくニューヨーク州の蒸気船による河川運送業の独占免許を取得した。1814年には大型船を建造。その後はさらに3隻が加わった。そして、念願の大西洋という外洋航海へと乗り出していく。

▼ナポレオンは、大西洋の孤島セントヘレナに流刑となっており、そこで病死した。1815年5月のことだ。すでに2月には、フルトンは亡くなっていた。セントヘレナで、外洋を航行する蒸気船を遠望しながら、ナポレオンは「あの狂人フルトン君の言うことを、ちゃんと聞いておくべきだったな」と述懐したそうだ。12年前、フルトンを馬鹿にした思いはすでになく、このときの「狂人」という言葉は、賞賛の表現以外のなにものでもなかった。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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