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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第118回・海水浴

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【閑話休題】第118回・海水浴

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-08-20 18:00:00]

【閑話休題】第118回・海水浴


▼土用波は、晩夏( 7月の終わりから8月始めに当たる)に襲うと言われてきた。それは台風が遠洋で発生するため、その影響を受けて突発的な大波が押し寄せることがあり、その経験則から「夏の土用波には注意しろ」と語り継がれてきたものだ。

▼私は長じてからは、海水浴と言ったら、夏休みを避けてきた。とにかく、人が多すぎる。人を見ているだけで、酔いそうになってくるのだ。海に行くときはもちろん、着いてからも帰るときも、人の波の中を一日中泳いでいるようなもので、海水浴どころの話ではない。

▼そこで私は、いつも9月前半頃を狙ってきた。9月にも台風は発生するが、それさえ遠洋で発生していなければ、まず波が鏡のように静かなのだ。磯などでは、まるで天然のプールのように海面が穏やかなことが多い。

▼海に行くというと、砂浜派と磯派に分かれるようだ。同じ水遊びをするといっても、違うのだ。私は昔から徹底して磯派である。できるだけ、磯に出来た天然のプールでシュノーケリングをするのが、何といっても手軽で楽しい。色とりどりの魚や貝、蟹や蛸、ウツボなどを冷やかしてぷかぷか泳いでいると、時間が経つのをいつも忘れる。

▼砂浜の海岸の何が嫌かといえば、あの日陰のない空間がたまらなく辛いのだ。ましてや、砂がまとわりつくのも実に鬱陶しい。しかも、たいてい砂の海岸というのは、沖縄のように美しい海であっても、潜ってみれば「だからどうした」という感じがしてしまう。魚一匹いないからだ。

▼それに比べると、磯はたいてい間近に木々が迫っていることが多く、日陰があってほっとする。砂はあるものの、砂だらけ、という感じではない。また磯は、釣りをするという選択肢もある。砂浜では不可能だ。このことは、海外に住んでいたときも同じだった。セブ沖の無人島やエルニドに行こうが、あるいは700アイランズに行こうが、はたまたコタ・キナバル沖の5つの無人島に行こうが、海へ遊びに行くといったら、まず磯を探したものだ。

▼海は、窓から何の気なしに見える、借景としての効用は実に素晴らしい。だが、そこで遊ぶとなると、砂浜で5分も経てば、たちまち飽きる。うんざりだ。

▼日本では、昔から海水浴という習慣があったわけではない。生活と信仰の場であった海には、今のような海水浴の光景はなかった。通説では、幕末の頃、西洋医学を学んだ医師たちによって広められたのが最初だと言われているらしい。

▼しかし、この場合の海水浴というのは、海の中に支柱を立ててそれに掴まり、海水に身体を浸すことで病気を治療しようという、あくまで医療行為だった。

▼オランダの医師、ポンペに学んだ長与専斎や松本順(良順)らによって、明治初期以降、海水浴場が次々に開設されたという。明治政府において、長与専斎は内務省衛生局の初代局長、松本順は初代陸軍軍医総監を務めている。

▼一方、安政5年( 1858年)の日米修好通商条約の締結以降、来日した欧米人を中心とする外国人は、蒸し暑い日本の夏を快適に過ごすため、休暇には海浜地域を訪れ、ごく早い時期から海水浴を行なっていたようだ。

▼関東に設置された外国人居留地(横浜、築地)で暮らしていた外国人が好んだ海水浴場としては、現在の横浜市金沢区、富岡の地が知られている。ヘボン式ローマ字で有名なヘボンもその一人だった。

▼夏目漱石の『こころ』では、「私」が「先生」との出会いを鎌倉での海水浴をそのきっかけにしているが、明治末年には、今に近い海水浴というものが普及しつつあったのかもしれない。当時から、湘南は延々とその海浜文化の象徴としての存在を築きあげてきたらしい。

▼海水浴は女性の水着の発展を促すとともに、日本固有の「海の家」という形態を各地の地域性を加味することで発展させた。このことは世界の海水浴と比べても、大変ユニークなことらしい。

▼ところがこの海水浴、時代が平成に入るころから次第に人気に陰りが見えはじめる。財団法人日本生産性本部では、毎年余暇活動の「参加人口」を推計し、「レジャー白書」に上位20位を公表している。ところが、2010年度版に「海水浴」の文字は見当たらないのだ。

▼海水浴が上位20位以内にあったのは1999年度版の18位が最後で、このとき参加人口は2490万人。翌年以降、その順位が盛り返すことはなく今日に至っている。かつての国民的な人気は、完全に衰えてしまったようだ。ただ、女性の十代のレジャー参加希望率を見ると、かろうじて4位に海水浴が位置づけられており、若い女性からはまだなんとか支持があるようだ。

▼子供たちがゲームで遊んで、表に行かなくなった。かつてのように、何はともあれ表に飛び出して、泥んこになって帰ってくるということは、次第に少なくなってきている。それと同じで、世の中にいろんな「遊びの選択肢」が増えたのだ。それはそれで、文化が一つ衰退していこうとしているわけだから、寂しい限りではある。

▼もっとも、それでどんどん海水浴客が減ってくれたらいいなあ、などと呑気に自分勝手なことを考える私がいる。もう海水浴に行きたいと思わない年齢になってきたのだが、人がまばらなくらいなら、ちょっと行ってみるか、という気になるかもしれない。9月の海は、私でも「そう言えば、今年は海に入ってないな」などと思い出し、ふと足を向けたくなるような、ご機嫌のエアポケットなのだ。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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