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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第122回・異界への招待(前編)

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【閑話休題】第122回・異界への招待(前編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-08-26 18:00:00]

【閑話休題】第122回・異界への招待(前編)

2013年8月26日(月)★☆★☆

▼たとえば山は、娑婆(しゃば)と黄泉の国とを隔てる異界(いかい)だった。異界とは、人間が属するところとは異なる世界のことである。だから、古来、修験者や各種の宗教者は、こぞって山を目指した。しかも、それはつねに娑婆のすぐ隣に存在していたのだ。夜ともなれば娑婆でさえ、漆黒の闇に包まれた。怪というものは、日常に存在していたといってもいい。東日本大震災直後、私たちは省電力の名のもと、夜の街の電灯がちょっと減らされただけで、いかに闇が深いかを改めて思い知らされたはずだ。

▼いつの頃からか、私たちの社会は山をレジャーの対象と化し、本来、山が持っていた恐るべき異界への入り口だという認識は、希薄になっていった。生死を分ける剣術が、スポーツとしての剣道に変わっていったことと同じである。今、私たちは、かつて祖先が十二分に働かせていた五感を、十分に作動させているだろうか。便利さが、人間がもともと持っていた能力を、逆に退化させてはいないだろうか。

▼現代人、とくに若い世代は、科学技術がかつてないほどの進歩をしていることで、レトリックの欠乏に陥っている。若者の会話を貧困にし、仲間と写真を送り合い、わずかな寸言(ツイッター)だけでしか、自己確認ができなくなっている。評論家、浅羽道明(あさばみちあき)の表現を借りれば、「写真性失語症候群」とでもいうことになろうか。

▼「霊」などという無駄なものには関心を持たない。ある意味、そういう精神的余裕すらなくなっている。見えないものには興味がなく、携帯で他人と始終つながっているようでも、実はそこで自己確認をしているだけのことだ。本当の意味で、他人には興味がない。ましてや、霊性など、あっちの世界である。

▼だから、死というものに対する認識や覚悟も、昔と違って、浅薄にして物理的な恐怖だけになってきてしまったと言える。死者への畏怖という感情は、相当欠落してしまっているようだ。たとえば、殺人現場に幽霊が出るといったような「不文律」は、いまや一部のマニアや少数派だけの「妄想」となってしまい、一般的な常識ではなくなっている。

▼しかし、警察でも調書が書けないような例が、ときどき発生している。ある刑事の話では、某所の峠で女が車の前に飛び出すという事例が多発。クレームが相次いだ。刑事は、3人の警官と張り込みをした。予定の時刻に、その女が現れた。4人は、無線で連絡を取り合い、全員が目視確認したところで、一斉に各所から飛び出して包囲した。4人のライトが女の顔を照らす。刑事が「すみません、お嬢さん。この時間にこんなところで、いったい何を・・・」とそこまで言いかけたところで、女はそれこそ煙のように消えてしまった。

▼4人とも茫然自失である。ライトは4人の顔ばかりを照らしている。そして、「このことはなかったことにしよう」ということになり、調書は書かれなかった。しかも、その場所近辺で、女が自殺、事故死した案件は過去、皆無であったという。4人は後日、自腹で坊さんを呼んで、そこの場所で供養をした。これは、本人談の実話である。

▼いずれにしろ、死者を畏怖するという「不文律」が壊れてしまったことで、現在はかえって不都合なことが発生してきている。殺人の加害者に対する法律が甘いということはともかくとして、昔なら、怨霊が黙ってはいなかった。加害者もそういう意識を持っていた。倫理的、法律的に加害者を追い詰めることができなくとも、怨霊には慄(おのの)くことが普通だった。

▼日本人が古来、幽霊の物語に認めてきた価値というものは、科学的とか非科学的とかいう切り口ではなかった。もちろん、単なる怖さだけでもなかった。一言で言えば、死者の前では畏(かしこ)まるべきであるという、素朴な直感が背景にあったはずだ。

▼未だに科学では説明不能のことが多い。それを一番よく知っているのは、科学者自身のはずだ。よく、科学的であることを主張する表現に、「死んだら何もない。あの世もない、ただの終わりだ」というものがある。あたかも、それで科学的であると言ったつもりなのだろう。だが、禅の公案(こうあん=問答)に、こういうのがある。

「瞳がまたたく間に、ロウソクの火は消えてしまいます。肉体は結局滅びます。」
「それでは太陽は死ぬか?」
「死にません。しかし、夜は輝きません。」
「輝いているさ。どこかでな。この世に死に絶えるものなど、何一つない。ただ、おまえが見ていないだけなのだ。」

(明日の「中編」に続く)

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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