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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第123回・異界への招待(中編)

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【閑話休題】第123回・異界への招待(中編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-08-27 18:30:00]

【閑話休題】第123回・異界への招待(中編)


▼よく幽霊というと、錯覚や幻想、妄想だといって片付けられる。しかし、それを現実に見た人間だけが、事実だったか、錯覚だったかを峻別できる。経験のある人なら分かると思うが、明らかにそこには、錯覚などとは違う「肉感」が存在するからだ。

▼たとえば、私の場合、最初の経験は48歳のときだったが、夜の11時ごろ、書斎で米国株相場をネットで追っているときに起こった。部屋の中は、蛍光灯で昼間のように明るい。窓ガラスは鏡と同じ状況になっており、部屋の中の様子や、私自身が鮮明に映し出されていた。むしろ外の景色を見るには、目を凝らさなければ難しいという状態だった。

▼ふと何の気なしに、窓に顔を向けるとある種の違和感を覚えた。何かが違う。それもそのはず、机に向かって座っている私の右横、およそ3メートルのところに、もう一人の人間がいたのだ。その男(と、直感した)は、白い和服を着て、よく見るとそこに薄青い細かい柄が施されていた。そして、私はというと壁を背に椅子に座っていたのだが、その男は、逆に壁を向いて立っていた。

▼男は、ややうつむき加減にして、どうやら手元で何かしているらしい。が、こちらからはよく見えない。私は、恐怖というよりも、とにかくびっくりした。家内がキッチンで洗いものをしている音が始終聞こえていたから、恐怖感というものは確かに希薄だった。すぐ、メモ帳にパソコンに表示されている時間を書いた。それから、その男が消えるまで、ほぼ2分間。徹底的に、ガラス窓に映る「彼」と、何もない私の右横を、何度となく見比べて、事実確認を行なった。

▼錯覚の入る余地はない。ガラス窓に反射しているその男は、キャビネットで腰から下が隠れてしまっている。壁のこちら側にいるのだ。キャビネットと壁は、現実にはぴったりくっついているから、男は、そのないはずの隙間に立っていることになる。

▼男の風情は、着物の柄が細かく見えるだけではなく、蛍光灯に照らされて皺(しわ)よせなどには、きわめて鮮明に影が生じていた。ただ、不思議なのは、肉体の部分、つまり、うなじから頭頂までが真っ黒な影であり、輪郭はどう見ても鮮明になっておらず、ぼやけていた。

▼もっと面白いのは、その消え方だった。映画や小説などに出てくるような透明感はなく、そこに物理的な人間が存在しているとしか思えないほど、リアル感があった。同じように、隣でガラスに映っている私と、そのリアル性はまったく差がないのだ。しかも、すうっと消えていくのではなく、あたかも「見えないついたて」でもあるかのように、その向こう側に横ずれしながら消えていったのだ。

▼私はパソコンの時間表示を確認し、それ間が2分間であったことを知った。2分間というのは、このようなとき大変な長さに感じる。錯覚か、事実か、それは本人が一番よく分かっている。二度目は、その1ヵ月後、家には存在しない少女が、目の前を走り抜けていった。しかも、目の前を人間が走り抜けるときに起こる「風」を感じたのだ。当時住んでいたマンションでは2年間ほど、ほぼ毎日といってもいいくらい、異様な現象が起こり続けたものだ。これは、私の家族全員が体験している。

▼ともすると、怪談には殺人や自殺などの因果関係があり、いかにもきちんと解説できるようなものが、“怪談”として喧伝されるわけだが、おそらく多くの怪談というのは、私の体験のように「話の落ち」がまったくなく、ただ意味不明の現象であることがほとんどではないかと思う。

▼48歳にして、初めて異様な経験をした私のような人間がいるのだから、長年、そうしたものとは縁がなく、また信じるつもりもない人にも、ある日突然、その瞬間はやってくるかもしれない。何らかの必要性があって、その瞬間が訪れるのだろうが、受け手側のアンテナの感度が悪いと、なかなかそれに気づくことができない。たとえ気づいたとしても、その意味を理解することは難しいだろう。

▼このような異界に関する書物はいくつもある。手っ取り早いところでは、前東京都知事・石原慎太郎氏の『わが人生の時の時』(新潮文庫)という、摩訶不思議な書名の本がある。その中に、「あなたは誰なんです」という話が載っている。

▼主人公(石原氏)が大学のかつての同窓8人と久しぶりに会合し、慰安旅行を兼ねて訪れた熱海の旅館で遭遇した怪である。いずれも、大企業の経営者や重役、あるいは官庁の幹部クラスなど、立派な肩書きの一流人ばかりが、そろいもそろって実名で登場する。そして、8人全員が一堂に会したあと仲居の幽霊と遭遇するのだが、皆で話しかけて成仏しなさいと説得するのだ。じつに驚くべき内容ではあるが、あれだけの登場人物が実名で出ているのだから、さすがにガセではあるまい。ましてや、8人同時の体験である。それが科学者の主張する「集団催眠」かどうかは、とくと本書を読んで判断していただきたい。

▼お寺は、怪談の宝庫だと思われがちだが、そうでもない。全国津々浦々の寺の数に比べて、おそらく怪異を経験している住職は、それほど多くないかもしれない。そうした怪談にめぐり合わせた住職の記録を集めた本が、『実録 お寺の怪談』(高田寅彦著、学習研究社)」である。メガバンクの支店長らが「助けてくれ」と一本の監視ビデオを持参して、お寺に飛び込んできた話。これを始めとして、実名・仮名混在で、ドキュメントが綴られている。

▼昔から、文豪たちも奇怪な現象に悩まされ、畏怖することがあった。彼らが克明にその事象を記録したものばかり集めた本もある。『新・あの世はあった 文豪たちは見た! ふるえた!』(三浦正雄・矢原秀人著、ヒカルランド)がそれだ。遠藤周作と三浦朱門の同時体験をはじめ、佐藤愛子の20年に及ぶ、一家と霊現象との地獄のような格闘生活。霊的なものを、まったく非科学的と切って捨てていた柴田練三郎や、菊池寛の身も凍る恐怖。そのほか宮沢賢治、夏目漱石、新渡戸稲造、南方熊楠、佐藤春夫、小泉八雲、火野葦平、土井晩翠、小山内薫などが登場する。

▼いずれも、興味本位で恐怖を売りモノにする商業主義の本ではない。きわめて客観的なスタンスで書かれているから、胡散(うさん)臭さは微塵もない。現実的な世界にばかり生きている私たちだが、目に見えない世界に多少なりとも注意を払ってもいい時期にきていると思う。

(明日の「後編」に続く)

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄


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