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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第146回・ZEN

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【閑話休題】第146回・ZEN

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-10-01 18:30:00]

【閑話休題】第146回・ZEN


▼禅は、欧米でもずいぶんと人気があるようだ。「ZEN」で通じるのだから凄い。外国人にしろ、日本人にしろ、禅と向き合う人というのは大したものだとつくづく感心する。禅など、なかなかできないものだ。悟ろうと思うから、だめなのだろうが。

▼道元禅師の教えよろしく、ただとにもかくにも座れ、というのが禅である。何も考えず、何も意識せず、「無になれ」というわけだが、とても私のような人間に出来る代物ではない。何も考えまいとすればするほど、雑念にわずらわされる。禅には、とても苦手意識がある。

▼私の場合は、神仏ごちゃまぜの修験に近いので、どうしても密教色が強い。実は高野山の真言密教にも禅はある。比叡山の天台密教では禅と呼んでいるが、高野山では、月輪観(がちりんかん)や阿字観(あじかん)と呼んでいる。

▼月輪観は、目の前に紺地に白抜きの満月の掛け軸を置き、半眼でそれをとらえる。月輪を心に置き、ちょうど手の上に乗るくらいの大きさで意識する。次第にそこから大きくしていき、いま住んでいる部屋の大きさにする。それから、家の大きさにしてみる。さらに、町の大きさにしてみる。そして県、地方、日本全土にまで月輪を拡大する。

▼地球に匹敵する大きさにしたら、さらに広げて、銀河系、無限の宇宙空間の果てまで大きくする。宇宙全体、自然すべてと一体化することを観想するのだ。折り返しは、同じ手順で今度はどんどん小さくしていく。最後は、自分の手の平に乗るくらいまでに小さくするのだ。

▼この観想法というのは、禅宗のそれとはまったく逆である。禅は、いきなり「無」になることを強いられる。これはただごとではない。何も感じてはいけないのだから。しかし、月輪観(あるいは阿字観)は、五感はおろか第六感まで、あらゆる感覚を総動員して観想する。いわば、イメージトレーニングといってもいい。

▼よく映画などで、陰陽師や修験者が、「臨・兵・闘・者・・・」と九字を切るシーンがある。あの九字切りは破邪(はじゃ=邪道を破ること)の一つの作法だが、月輪観や阿字観で研ぎ澄まされるという。

▼アプローチはまったく異なるのだが、求める帰着点は、実は同じ。「無」と「一体」とは、同義だからだ。「三昧(さんまい=精神集中が深まり切った状態)」と言い換えてもいい。なんとなく月輪観のほうが、禅より入りやすい気がする。しかし、そのような気がするだけだ。容易に入れるだけに、超えるのは難しい。

▼外国人に聞かれてもっとも答えに窮する質問が、「禅とは何か」である。日本人はみな、禅の達人だと思われているらしい。いい迷惑だ。

▼禅をあらわす言葉に、「不立文字(ふりゅうもんじ)」というのがある。悟り、肝心なことは言葉や文字では伝えられない、という意味だ。しかし、禅には魂を揺さぶられるような言葉が溢れている。ある禅僧がこう書いていた。「禅とはプロポーズやジャズのようなものだ」と。

▼プロポーズをするときの真剣さ、タイムリーに選ばれた場所、そこで交わされる問いと答え。その場面以外ではおよそ無意味・無価値で、気恥ずかしくなるような内容であっても、その場、その瞬間に交わされる言葉だからこそ、人の心を動かす。

▼どうも禅というのは、精一杯の全力投球(ベストを尽くす)を、繰り返し行なうことのようだ。その状態が「無」であり、密教で言う「超自然との一体」ということなのだろう。

▼「禅に名言なし。ただ、名場面あるのみ」とも言う。言葉や行動がなければ、悟りも愛も伝えることは出来ない。しかし、言葉や行動を真似ても、心は伝わらない。人間の日常というのは、繰り返しに見えても、一度きりの場面が続く。名言だけでは、いま一歩、届かない世界なのだ。

▼禅をジャズに例えているのは、即興演奏の連続が禅と共通しているということらしい。プロポーズの連続と言ってもいい。

▼もう一つ、禅には有名な言葉がある。「応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」だ。一カ所にとどまることなく、その心を生かせ、という意味である。心を、水の流れのようにさらさらと流し、次から次へと生じるままに任せるのだ、という。どこにもよどみがなく、執着もなく心が流れると、血液は弱アルカリ性(Ph7.35)になり、全身の60兆個の細胞は活性化され、細菌の繁殖も受けつけない免疫力を持つ。

▼といっても、ただ放縦に流れ、いい加減な態度が許されるわけではない。ある禅僧が言った。「心は病を持たぬ旅人のようなものだ。その旅人にも故郷はある。なければ、ただの無頼にすぎない」

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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