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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第147回・欲望と幻想の株価

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【閑話休題】第147回・欲望と幻想の株価

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-10-02 17:59:00]

【閑話休題】第147回・欲望と幻想の株価


▼ヘッジファンドの大立者、ジョージ・ソロスが言った。「すべての株価は間違っている。もしフェアバリュー(理論株価)などというものが本当に正しいのなら、株価はそこで止まっているはずだ。しかし、一瞬といえども、株価はその場所にとどまらない。株価とは真実を探しあぐねて、永遠にさまよい続ける共同幻想なのだ。」

▼結局、ファンダメンタルズ(経済の基礎的要件)でいくら計算をしたところで、それは「仮説」にすぎない。ただ、その「仮説」はときとして、利益をもたらす。そして、そうした「仮説」を導く切り口には、大きくファンダメンタルズ分析(マクロ、ミクロの両方)、テクニカル分析(トレンドとモーメンタム)、そして需給分析の三つがあると言われる。

▼国家全体の景気動向を推測しようとしたり、個別銘柄の先行きを予測しようとしたりして、上はGDP(国内総生産)から、下は財務諸表まで、データを一生懸命に分析するのがファンダメンタルズ分析だ。その教祖は、およそ100年前のベンジャミン・グレアムに始まった。

▼米国の経済学者であったグレアムは、当初、さまざまなデータ分析を考案して、理論株価を導き出した。一世を風靡したが、1929年の大恐慌を予測することができず、権威は失墜した。しかし、それも「仮説」にすぎなかったわけだから、グレアムが間違っていたというのは、いささか酷だ。

▼テクニカル分析は、チャールズ・ダウ(ダウ平均の開発者)に始まり、おびただしいほどの投資指標を生み出し、その「分かりやすさ」から、自信の持てない「予測」に対して、どこで「見切るか」ということを教えてくれた。しかし、そこには、ファンダメンタルズ分析のような「仮説」などはない。過去の化石のような、死んだ株価の軌跡をたどっているだけだ。起こった相場の事実に対して、どう行動すべきかの判断基準を示してくれるだけである。

▼チャートを延長すれば、仮説は立てられるはずだが、それを実際に行なって見せた人物はいなかった。その点、増田足は、有象無象あまたあるテクニカル分析の中で、唯一、チャートの右側(先読み)を示したという点では、突出した「仮説(予測)」を立てている。「先読み」の一本目の確率は、計算上8割だが、それとて2割の「はずれる」リスクが残されている。

▼しかし、デイトレーダーとして、金字塔を打ち立てた名手ラリー・ウィリアムズは、「私はギャンやエリオットなど、あらゆるテクニカル分析を研究したが、すべては無駄な労力だったという結論に達した。みんなは私を、テクニカル手法で成功したと思っているが、実は私はファンダメンタルズを無視したことは一度もない」と言っている。

▼実際、グランビル理論もエリオット理論も一時は一世を風靡したが、結局それぞれ暴落によって、役に立たないという烙印を押され、名望を失った。こうなると、ファンダメンタルズかテクニカルかで、堂々巡りをせざるを得ない。

▼需給は、昔から「株は需給だ」と言われてきた。「株価は鏡、出来高はその影」とも言われる。需給そのものは、結果としてそうなっているということであり、未来を予測するための動機にはそもそもなり得ない。影は、株価につき従うだけだからだ。今後発生する相場展開の、足を引っ張ったり(陽の当たり具合で短くなったり)、加速させたり(伸びたり)するものでしかない。ただ、割引要因、加速要因は、次の相場がどういう規模や勢いを見せるかということを予測する上では、重要な材料になるのは確かだ。

▼結局、投資家はファンダメンタルズ分析、テクニカル分析、需給分析という三つのアプローチから自分なりの「仮説」を立て、それが現実の相場にそぐわない場合、修正につぐ修正をしていくしかない。月並みな結論だが、それしかないのだ。

▼つまり、Buy and Hold(買って、持ち続ける)ではなく、Buy and Maintenance(買って、修正する)でなければならないわけだ。あらゆる不確実性と、あらゆる不透明性の中で「仮説」を頼りに、欲望と幻想の株価の行く先を探し当てるのだ。修正なくして、仮説は生かされない。

▼さらに重要な点は、高い株を買うのか、安い株を買うのか、という永遠のテーマが横たわっていることだ。前者は一般に、成長株投資理論として研究されてきた。後者は、バリュー投資理論として研究されてきた。

▼買い手の立場で考えるならば(売り手なら逆になる)、つまるところ、強い相場、強い銘柄を頼みとすることが最善だ。強いものというのは、この場合、上昇しているという事実にほかならない。すべての予測が「仮説」にすぎないのであれば、相場において「良いこと」というのは、「上昇している」という事実に尽きる。

▼このことから、ウィリアム・オニールは、「どうして、安いものを買うのか。どうして下げるものを買い続けるのか。なぜ、その相場で一番良いもの、一番強いものを買おうとしないのか」と問いかける。だから彼は、 Buy low、 Sell high(安く買って、高く売る)ではない。あくまで、Buy high、Sell higher(高く買って、もっと高く売る)なのだ。

▼オニールは、基本的に成長株投資理論だ。まったく逆の立場にいるのが、テンプルトンだろう。徹底的なバリュー投資理論だ。しかし、オニールは、「安いものには安い理由がある。それがなくなり、株価が上がり始めるとしても、それはいつなのか、誰にも分からない。それが5年先、10年先だとしたら、あなたはそれをひたすら待ち続けることができるのか。しょせん、それも予測にすぎない。それならば今、強いものを買う以外に選択の余地はないはずだ」と批判する。

▼こうした頭が痛くなるような投資理論の世界だが、「もう考えるのはやめよう」というスタンスも実はある。たいてい、それは需給を無視し、テクニカルも無視し、ファンダメンタルズ分析のうち、マクロ的な部分を完全に無視するやり方だ。つまり、個別企業のファンダメンタルズだけを頼みとするやり方である。

▼このやり方を終始徹底させたのは、たとえばピーター・リンチがそうだし、ウォーレン・バフェットもそうだ。二人に共通するのは、気が遠くなるようなロング・ホールド(長期保有)を地で行なったということだろう。彼らが生き残ったのは、買った銘柄のうちの、ほんのごくわずかが、非常に長い年月の間に、とてつもなく上昇したためだ。しかも、彼らはその企業のことを調べ上げるのに、靴底を減らすような努力を日々積み重ねている。一般人には、とても真似できる芸当ではない。

▼おそらく、これまで区分した、どのやり方でもチャンスはある。「仮説」を立てる場合は、三つの切り口から持てる知識と感性(とくに勘。勘こそは経験の積み重ねによって得られる、一番信頼に足るものだ)を総動員して「仮説」を立てる。そうしながらも、「仮説」を決して信じない。つねに疑い続け、メインテナンスを怠らないということだろう。思う存分、やりたいことを身勝手にやるのが市場である。市場に逆らっても、損するだけなのだ。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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