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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第16回・アメリカ人から見たスマートさ

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【閑話休題】第16回・アメリカ人から見たスマートさ

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-03-25 16:00:00]

【閑話休題】第16回・アメリカ人から見たスマートさ


▼外国人投資家の中でも、もっとも手ごわいアメリカ人だが、彼らが一様に賞賛する「スマートさ」というものを考えてみたい。どういう敵を、敵ながらあっぱれと思い、真摯にその強さを評価し、学ぼうとするのか。要するに彼らが好き嫌いにかかわらず、手ごわいと思うのはどういう戦い方なのか。おそらく、相場という世界でも通用する点があろう。

▼戦略論ではカウンターこそが、最小の兵力(エネルギー)で、最大の効果を発揮することが証明されている。典型的なのは、戦国時代の真田(昌幸、信繁=幸村)親子のそれだろう。2度にわたる徳川の上田城攻め(第1次は敵5倍、第2次は敵10倍)、大阪夏の陣での天王寺戦線(敵9倍)など、いずれも寡兵の真田昌幸勢や烏合の衆といってもよい西軍の真田信繁部隊が、徳川や東軍の大兵を死地に引っ張り込んで撃破している。

▼第2次大戦では、硫黄島の栗田中将揮下の守備隊が、兵力5倍の米海兵隊をこの世の地獄に引きずり込んだ例が、パターンとしては同じである。栗田中将が、結局玉砕したとはいえ、秀逸の名将のひとりと米国から称される由縁である。ちなみに、栗田中将の出身は、真田と同じ信州上田である。武家の出身であるから、もしかすると「カウンターの神業的な妙技」という遺伝子は、受け継がれるものなのかもしれない。

▼日本史では、この寡兵が究極の危機にあって「敵」を出来るだけ死地に引っ張りこみ、我慢に我慢を重ねた上で、一転して逆襲し、圧倒するという手法の例が非常に少ない。潔すぎるのである。第2次大戦では、ぺリリュー島の防衛戦(敵実質6倍)で驚くべき抵抗を見せて善戦玉砕した日本軍守備隊の例が、硫黄島以外では見られた。米海軍提督のニミッツが、賞賛する碑文を現地に置いたといわれるくらいだ。しかし、太平洋戦線ではほとんどの日本軍が潔く万歳突撃をしており、結局瞬殺されている。日本人の不得意なところなのかもしれない。

▼実は沖縄戦でも、栗田中将と同様、戦略的後退をしながら、ゲリラ戦で米軍を恐怖のどん底に陥れた。当初、沖縄では、陸軍は全島民をすみやかに本土に疎開させる方針だったが、島民が動かなかった。知己や身寄りもない県民にとっては、「勝っている」という大本営の嘘を信じていただけに、疎開には消極的だった。また、沖縄戦が始まる直前までいた前任の県知事は、軍との折り合いが悪く、この全島民疎開に反対していた。ようやく説得につぐ説得で、子供たちを主体とした第1次疎開の輸送船が出発したが、不幸なことに米潜水艦の魚雷攻撃で沈没し、全滅するという事件が起きた。これで、ますます島民の疎開への意思はくじかれた。

▼頭を悩ませた現地軍は、島民を本島北部に移動させ、南部で決戦することに決めた。島民の移動が始まったが、ちょうど那覇を通過中、まさにその場所で折悪しく米軍の上陸が始まってしまった。慌てた島民は引き返し、なだれを打って南部に殺到。このため、軍民混在する状態で、米軍との決戦を迎えなければならなくなった。最悪の事態である。

▼司令部では、総攻撃を主張する長中将と、戦術的後退によるゲリラ戦を主張する八原大佐が真っ向から衝突した。結局、長中将の意見が通り、いつもの「潔い」総攻撃を行なった結果、木っ端微塵に砕かれ、砲撃力のほとんどを失うことになった。この後、八原大佐の作戦に切り替えられ、そこからが米軍にとって地獄の始まりとなった。このときの八原作戦は、すでに戦闘能力の半分以上を失った段階で始められたが、米軍に強いた出血は膨大なものだった。米軍のバックナー中将が肉迫した日本の狙撃兵によって戦死したが、米軍史上、最高位の将軍で唯一の戦死者記録になった。

▼米国本土でも、このニュースは戦慄をもって受け止められ、とんでもない相手と戦争をしているということが分かったようだ。それほど日本軍の接近戦は執拗なものだった。このため、米軍は「このスマートさ」を相手に日本の本土決戦を行なった場合、自軍に100万の戦死者が出ると信じた。結局、このことが、米国政府をして原爆投下を決断させたともいわれる。それほどのインパクトだったわけだ。いまだに米国軍事史界では、硫黄島の栗田中将や、この沖縄戦での八原大佐を、「実にスマート」な戦いだと賞賛してやまない。

▼要するに、「しつこい」ということだろう。目的達成(できるだけ敵に出血を強いて時間を稼ぎ、講和に有利な状況をつくること)のためには、徹底した粘着性で敵を悩ませ続けるということだ。格好悪いのである。潔くないのである。しかし、勝負というものは、きれいごとではない。あらゆる機会をとらえて、局地的に打撃を与え続ける執念のようなスタイルを、アメリカ人は「スマート」だと評価するらしい。これこそ、アメリカ人が一番厄介に思う敵の特性なのだろう。東京市場で、そのスマートさを演じて外国人に舌を巻かせているのは、おそらく個人投資家くらいのものではないだろうか。

増田経済研究所
コラムニスト 松川行雄




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