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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第172回・日本と日本人に対する世界の声(後編)

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【閑話休題】第172回・日本と日本人に対する世界の声(後編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-11-08 18:45:00]

【閑話休題】第172回・日本と日本人に対する世界の声(後編)


◎サンパス(インドネシア元復員軍人省長官)
とくにインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人数千人が、帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことだ。日本の戦死者は国軍墓地に祀(まつ)り、功績を称えて殊勲章を贈っているが、とてもそんなものだけで済むものではない。

◎イザベラ・バード(イギリスの女性旅行家)
この国民と比較しても、常に英国民が劣らぬように・・・。残念ながら、実際にはそうではない。<1878年(明治11年)「日本奥地紀行」>

◎ブン・トモ(インドネシア元情報相)
日本軍が米・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立する日は近いと知った。そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらなければならなかった。そして、実はわれわれの力でやりたかったのだ。それなのに、われわれはすべて日本に背負わせてしまい、日本は滅亡の淵にまで追い詰められることになった。申し訳ないと思うばかりだ。

◎アーノルド・トインビー(イギリスの歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残した。それらの国々とは、日本の掲げた短命な理想、大東亜共栄圏に含まれた国々である。日本人が歴史上残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではないことを示した点である。

1941年(真珠湾攻撃)、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は1967年のベトナム戦争に明らかである。

◎モハメッド・ハッタ(インドネシア独立の父)
日本の戦いは8月15日に終わった。我々の戦いは8月17日に始まった。独立戦争は4年続き、たびたび調停をしていたアメリカも、さすがにオランダの執念にはブチ切れ、経済援助の打ち止めをちらつかせた。ようやくオランダはインドネシアの独立を認めた。オランダはその腹いせに、多額の債務をインドネシアに要求した。これを、戦時賠償の形で肩代わりしてくれたのは、(まだ焼け野原の)日本であった。

◎孫文(中国「革命の父」)
アジア人は、みな白人には敵わないと思っていた。日本人だけが違うと信じた。

◎アラ・ムジャ(元インドネシア陸軍大将)
日本にはあと五年がんばってほしかった。そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。

◎ナセル(第二代エジプト大統領)
アジアには日本がいた。アラブには日本がいなかった。

◎O・ラティモア(中華民国顧問)
日本が立派にやり遂げたことは、欧米の植民地帝国を完全に破壊したことである。

◎ネール(インド初代首相)
20世紀の初め、アジアの精神に大きな影響を及ぼした事件が起こった。ロシアが日本と戦って敗れたのだ。あの小さな日本が、ヨーロッパのうちでも最大にして最強の国の一つであるロシアを破ったという事は、多くの人々を驚かせた。

私は、今でも日本の勝利のニュースが伝えられる度ごとに、首を長くして新聞を待ち望み、記事を読むごとにどんなに感激したかを、まざまざと覚えている。
彼ら(日本人)は謝罪を必要とすることなど、われわれにはしていない。だからインドは、サンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。

◎ニューヨーク・タイムズ記事
上海市民は、(日露戦争の)ロシア敗北の報を聞くと、歓喜して街中へ繰り出し花火を上げた。

◎グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)
インドはほどなく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ、東亜民族はみな同じだ。
インド国民はこれを心に深く刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。

◎サミュエル・ハンチントン(アメリカの政治学者)
世界の中で、日本は唯一、一国で一大文明を形成した。

◎バー・モウ(ビルマ元首相)
日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はいない。戦争の終盤、われわれは日本を見限ったが、その恩を忘れてはいない。日本ほど誤解を受けている国もない。

◎クロード・レヴィ=ストロース(フランスの言語民族学者、文化人類学者)
日本は世界で唯一、神話と歴史がつながる国だ。

◎チャンドラ・ボース(インド国民軍総帥)
日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由を獲得する戦いに参加することを可能にした。

◎ヘレン・ミアーズ(アメリカの女性社会学者)
東京裁判は正義ではなく、明らかなリンチです。私たちアメリカがどうして日本を罰することができるのか。私には理解できない。

◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本という母親は、難産して母体を損なったが、生まれた子供たちはすこやかに育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話が出来るのは、いったい誰のおかげなのか。

それは、身を殺して仁をなした、日本という母親がいたためだ。12月8日(真珠湾攻撃)は、われわれにこの重大な思想を示した母親が、一身を賭して決意をした日だ。さらに8月15日(日本の無条件降伏)は、われわれの大切な母親が、病の床に伏した日だ。

われわれは、この二つの日を決して忘れてはならない。

◎ベン・ブルース・ブレークニー(極東軍事裁判における日本側弁護士、アメリカ人)
原子爆弾という、国際法で禁止されている残虐な武器を使用し、多数の一般市民を殺戮した連合国側が、捕虜虐待について、日本の責任を問う資格があるのか。

◎ラダ・ビノード・パール判事(極東軍事裁判判事の一人、インド代表、法学士。判事の中で、唯一「日本無罪論」を主張)
私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということが分かるはずだ。それなのに、あなた方は自分たちの子弟に、「日本は犯罪を犯した」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。

満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを、私は平然として見過ごすわけにはいかない。

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ、正義の女神はその秤(はかり)を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。

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日本のことを、高く評価してくれた外国人たちの言説は、一応半分以下くらいに割り引いて受け止めておこう。実際、あの戦争には、語るに落ちる醜悪な側面は、いくらでもあるのだ。結果としての綺麗ごとだけでは済まされない。

かつて太宰治が、『もの思う葦』(エッセイ)の中で、こう言っていた。
「私の作品をけなす人を見ると、何を言ってやがると思う。しかし、賞賛する言葉をきくと、とてもそんなものではないと恥ずかしくてたまらなくなる。」

そんなものであろう。最後に、当時の大方の日本人の偽らざる心境というものを書いておこう。これも太宰が残した文章だ。
「あのときの日本政府は、いわばどうしようもない飲んだくれの父親みたいなものだった。おなかが空いたといって泣く子供をうるさいと怒鳴りつけ、酒を買う金を出せといっては女房を殴る。挙句の果てには、家からさまざまなものを持ち出し、女房の着物まで質に入れてけっきょくは酔っ払ってくだを巻いている。そんな父親でも、街で与太者5、6人に囲まれて袋叩きにあっているのをみれば、子供としてはなんとか助けようと思う。当時の日本人はみんなそんな思いでいたのだ。そして日本のために、必死に戦ったのだ。そのどこが間違っていたというのだ。」

言い得て妙である。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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