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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第173回・日本は朝鮮半島で何をしてきたか(前編)

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【閑話休題】第173回・日本は朝鮮半島で何をしてきたか(前編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-11-11 19:50:00]

【閑話休題】第173回・日本は朝鮮半島で何をしてきたか(前編)

▼どうにかならないのだろうか。あまりにも、中国と韓国における反日・嫌日・侮日行為や発言が多い。ほとんど処置なしだ。あまりにも、理解しがたい先入観や言いがかり、歴史の捏造に、正直辟易(へきえき)する。はっきり書いておこう。現在、世界中で、侵略戦争の謝罪や賠償を求めているのは、日本と戦争をしたことのない共産中国(中華人民共和国)と朝鮮半島(朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国)だけなのだ。

▼在日韓国人は、母国(韓国)での一連の「常軌を逸した歴史的認識」について、どういう思いをしているだろうか。たいていは眉をしかめているだろう。

▼こうした母国集団が、世界で笑いものになっている状況を横目に、アウェイの日本で生活をしている在日韓国人たちの、その苦渋を思うとき、個人的には心底気の毒な限りだと思う。いきがかり上、あるいは前世代の事情や判断で、未だに日本にいる彼ら(とくに三世以降)は、かなり肩身の狭い思いをしているかもしれないが、それには及ばない。一部の心ない日本人はいるにしても、圧倒的多数の日本人は、在日者に対して歴史的経緯に基づくわだかまりなど持っていない。

▼私は日本が朝鮮で、あるいは国内で朝鮮人に対して良いことばかりをしたなどと言うつもりはない。ただ、事実は何であったかを知りたいだけだ。上記で述べてきたようなことが、まともに韓国内で検証されている様子は、まったく見られない。それが、不愉快なのだ。

▼一つ一つ挙げていけば、きりがない。たとえば、朝鮮半島に限っていえば、植民地時代、韓国の各道の議員のうち多くを朝鮮人が占めていたことを、彼らは知っているのだろうか。日本人が政治を独占して圧制を強いていたと、頭から信じているのだろうが、歴史の事実を一つ一つ検証するということを、しようとはしないのだろうか。

▼私の手元に昭和8年の現地新聞のコピーがあるが、そこには忠清道の道議会選挙の結果を報じた記事が掲載されている。当選した議員の80%が朝鮮人である。そのため、朝鮮朝日新聞は、「これでは帝国の政策が、滞ってしまうのではないか」と批判的な記事の内容になっているくらいだ。

▼知事でさえ朝鮮人が多く、その下に100人単位の日本人官僚が働いていたことを、彼らは果たして知っているのだろうか。各地域の警察にしてもそうだ。日本人の上司が朝鮮人であったことは、ごく普通に存在した。

▼ハングルも打ち捨てられていたものを日本人がわざわざ教科書まで作って教え、普及につとめて文盲率を激減させたこともそうだ。二言目には、「われわれは日本語を強制され、母国語を奪った」と言うが、とんでもない話だ。

▼植民地時代、日本語教科書と、ハングル教科書の二つを日本は用意したのだ。その現物を私はこの目で見ている。韓国人が世界で一番美しく合理的な文字だと誇るそのハングルが、実は彼ら自身の手によって、李氏朝鮮の封建時代に「下等な文字」だと破棄され、ほとんど使われていなかった。日本人がむしろ取り上げて復活させ、全土に普及させたのだ。

▼李氏朝鮮は、王族・貴族の間では漢文を使用し、一般国民への教育は施されなかった。ハングルが簡便な表記文字であるため、普及させれば、朝鮮一般国民の民度や教育水準は一気に向上したはずだが、半ば奴隷制に近い支配をしていたため、このハングルの採用は闇に葬られたというのが事実である。

▼有名なところでは、福沢諭吉がこのハングルを知り、多数の日韓の学者を集め、現代朝鮮語の整備・統一事業を始めた。ソウル近郊の朝鮮語をベースに標準語をつくり、地域で意思疎通が難しかった全朝鮮半島で一律に通用するように図ったのだ。日本の朝鮮総督府は、最大5000の小学校を設立し、学校読本というハングル語教育を行なうことで、文盲率の撲滅を目指した。

▼「日本人はわが国の歴史を否定し、奪った」と言うが、この朝鮮総督府のつくった学校では、朝鮮の歴史を教えていた。当時小学校五年生用の歴史の教科書から引用してみよう。

「膽星台(たんせいだい)は7世紀、新羅時代の構造物であり、総高は29尺( 9.4m)に達し、世界的価値のある東洋最古の天文台である。」

「慶州は新羅の古い都、古くからの山河が無久の平和の地域をなし、994年間の王国の首都として栄えたのは偶然ではない。」

日本が、朝鮮の歴史を侮蔑し、抹殺したなどということは皆無であり、むしろ朝鮮の歴史文物の復権に努め、朝鮮人に自国と自民族の誇りを取り戻させようとしたのだ。

▼韓国の戦後の近代化は、こうした日本の植民地政策の基礎の上に成り立っている。「日本の統治がなければ韓国はもっと近代化し、発展していた」と韓国人は言うが、夜郎自大だろう。それが不可能に近い状態であったからこそ、ロシア南下の脅威にいらだっていた日本の帝国主義につけ込まれる隙が朝鮮にはあったのだ。

▼幕末から明治前半にかけ、中国はすでに西欧列強の植民地と化し、朝鮮も風前の灯であった。にもかかわらず、多くの優位の志士を、李氏朝鮮政府は徹底的に粛清して近代化の芽をつんだ。日本でも同じように、徳川幕府によって志士に対する粛清は苛烈を極めたが、志士の母集団である下級武士の多く、そして一般庶民の多くが、寺子屋などの普及によって、知的水準を高めた。

▼日本がまさに近代革命をしようとしていた幕末、米国は南北戦争で、欧州はクリミア戦争で、極東の植民地争奪戦に注力する余裕がなかったのだ。この間隙を縫って、日本は明治維新にこぎつけ、ぎりぎりで近代国民国家としての体裁づくりに間に合わせた。同じころ、韓国では依然としてその危機感は為政者になく、志士は壊滅状態となっていた。国民は奴隷状態に置かれたまま、ただ暗澹たる日々をすごしていたのだ。近代化のきっかけをつかめない状態で呻吟していたというのが事実である。

▼朝鮮が、帝政ロシアに取られるくらいなら、取ったほうがマシだと判断した日本の指導者たちの政治判断が間違っていたとは思わない。むろん、今の感覚から言えば、悪しき植民地支配であり、侵略であったろう。しかし、それは今だから言えることだ。当時の世界は、まさに帝国主義の時代であり、食うか食われるかの争いだった。それに対する意識のなさが、朝鮮半島のその後の悲劇の最大の原因だったというしかない。

▼韓国人は日本の朝鮮支配がなければ、とよく言うが、それでは問う。1868年の明治維新のような近代革命が、なぜ朝鮮半島に起こらなかったのか。日韓併合は1910年(明治43年)である。日本が死に物狂いで西欧列強に伍するため改革を断行し、ロシアの南下侵略を血みどろになって跳ね返した43年間、韓国はいったい何をしていたのか。

▼英仏による朝鮮半島への黒船は、日本のそれより5年も7年も早くから登場している。西洋列強の脅威が訪れてから、日韓併合に陥るまでの半世紀を、一体、あなたたち(韓国人)は何をしていたのか。そうした自国の歴史に対する反省もなく、「歴史への反省を忘れている」と非難を繰り返す人たちと、まともな会話をすることは難しい。私は怒りを通り越して、ほとんど民族的な悲劇を感じざるを得ないのだ。

(明日の「中編」に続く)

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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