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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第174回・日本は朝鮮半島で何をしてきたか(中編)

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【閑話休題】第174回・日本は朝鮮半島で何をしてきたか(中編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-11-12 18:45:00]

【閑話休題】第174回・日本は朝鮮半島で何をしてきたか(中編)


▼日本人によって、姓名を無理やり変えさせられた、というのも真実ではない。朝鮮では、もともと夫も妻も自分の姓をずっと名乗り続ける。自分の姓をとても大事にする伝統がある。これが彼らの言う本貫(ほんがん=祖先の発祥の地を指す言葉)というものだ。

▼しかし、それでは国勢調査でも、問題が生じる。そこで、一家に一氏を義務付けた。彼らの伝統習慣の姓はそのままにして、管理上、氏を一家で統一させたのだ。これが創氏改名である。しかも、日本式の氏でなくともよい。実際、当時の朝鮮人議員、日本軍属など、公式の文書には随所に、朝鮮名が堂々と記載されている。これが創氏改名の実態だ。

▼日本は、朝鮮に連綿と培われてきた、彼らの姓を台なしになどせず、そのままの残したのだ。近代国家として合理的な氏制度を、併用しただけのことだ。しかも、ふつうは朝鮮姓をそのまま氏に転用する人がほとんどであり、それにいちいち目くじらを立てたことはない。戦前の朝鮮における学校名簿や、議員名簿、軍人名簿など一度見てみたらよい。朝鮮式の氏名はざらにある。

▼慰安婦問題にしても然りだ。あたかも国家的組織的犯罪が行なわれたかのように言うが、まず考えられない。なぜか? 彼女たちはあまりにも高給であったから、強制などする必要がなかったのだ。ただ、農民などをだました人身売買などは横行していた可能性はある。戦前の日本の警察、内務省などの内部文書が明らかになっているが、それによると朝鮮の婦女子をだまして、慰安婦所に売り飛ばす不逞の輩(やから)が活動しているようだから、徹底的に取り締まらなければならない、としているくらいだ。

▼1933年6月30日付けの東亜日報の記事がある。「朝鮮人による人身売買組織」が、誘拐した少女を中国人に売り飛ばしていたことが判明。日本警察によって検挙されたことを報じる記事だ。日本でも、朝鮮でもこうした事例はかなりあったと思われる。なぜか? 先述のように高給取りだからにほかならない。そこに巣食う、悪い連中がどうしても出てくるのだ。

▼当時大学の初任給が約20円という時代に、慰安婦は15倍の月収300円で公募集されていた。もちろん中には、人気があって、それどころではない稼ぎの女性もいたことだろう。実際、文玉珠という女性(自称)は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万5145円(当時の金額)の預金変換の訴訟を起こしている。この女性は、元慰安婦だという。ざっと現在の価値に直すと、4000万円から5000万円である。3年間で「性奴隷」であった間に貯めていたものだ。

▼ここに面白い研究がある。米国の学者たちが、こうした慰安婦や朝鮮支配そのものを調査しているのだが、そのレポートでは1936年に朝鮮で行なわれた日本帝国政府の世論調査を引用している。それによると、「朝鮮は独立すべし」と8.1%が答え、「朝鮮に有利な時期に独立すべし」が11%、「独立を諦める」が32.6%、「どちらでも構わない」が48.3%である。

▼別の調査では日本政府への姿勢について、「反日的」が11.1%、「改革を求める」が14.9%、「満足」が37.7%、「無関心」が36.1%だ。この学者は、当時の政府主導で行なわれた調査だけに、その解釈は慎重にすべきだとしながらも、この世論調査から、「朝鮮人民が当時、『つねに独立すべしと考えている』と正直に回答しても身に危険は迫らないと感じていたこと」が見えてくるのであり、「日本側が彼らのこうした回答を記録した点」こそ注目すべきだと指摘する。

▼民族の衿持として、日本統治を快く思っていなかったとしても、それは当然だろう。ただ、当時の朝鮮人民が、かつての李氏朝鮮時代、あるいは大韓帝国時代に比べれば、遥かに「マシ」だったという感情を抱いていたことは、おそらく間違いないところだろう。

▼もっとも、この「植民地」という表現も正確ではないかもしれない。明らかに合邦・併合であって、西欧諸国が行なってきた植民地体制とはまったく異なる。なにしろ、英仏などの植民地では、被支配民族はまったく政治に参与できない奴隷状態に置かれていたわけで、朝鮮半島にしろ、台湾、満州にしろ、日本の統治はそうしたシステムとは完全に異質なものであった。むしろ、圧倒的多数の現地人による警察・立法・司法参加によって成り立っていたわけで、西欧的な植民地と言うのは間違っているのだろう。

▼加耶大学校の韓国人老教授の肉声を紹介しておこう。崔基鎬(チェキホ)客員大学教授だ。御年88歳の高齢にあって、最後の肉声を韓国人に告げようとしている。長文なので、大部分を割愛してポイントだけ抜粋する。

「私は88歳になる。もう事実を言いたい。朝鮮末期の私は1923年の生まれだ。
もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したい。それは相当な覚悟が必要で、生命の危険も覚悟している。しかし、これは私の使命であると信じている。
私はソウルに住んでいた。そして、時々、平壌や東京に行った。その当時の韓国人は日本人以上の日本人だった。劇場に行くと映画の前にニュースがあったが、例えばニューギニアで日本が戦闘で勝利をおさめたという映像が流れると、拍手とか万歳が一斉に出た。
私は劇場が好きで、日本でも浅草などに行って見たが、韓国で見るような姿はごくわずかだった。韓国ではほとんど全員が狂喜乱舞していた。それは当時としてごく普通の姿だったのだ。
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきた。
韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲ならば、韓国は90%が歪曲だ。
朝鮮末期の正常ではない政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われている。
韓日合邦によって、日本の意図がどこにあろうとも、結果的に「教育」「医療」「工業」「社会インフラ」が整備されたことは疑いようもない。近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実だ。
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ」と糾弾する韓国には呆れる。さらには、「日帝が民族産業を停滞させた」という主張にはコメントする気持ちも失せる。
民族産業を殺したのは、朝鮮王朝だ。
近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑された。
韓国人は「日帝の虐待。性奴隷」と叫んでいるが、私は信じることができない。歴史の真実を知っているためだ。
李氏朝鮮の時代というのは、朝鮮語でキウン「地獄」だった。それは大韓帝国時代になっても同じだ。
1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断する。
例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上だった。
その差額は日本が負担していた。
1908年にはより一層増加し、3100万円を支出している。
現在88才の老人の絶叫である。どう思われるだろうか。」

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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