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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第193回・定説を疑え〜失敗の本質(後編)

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【閑話休題】第193回・定説を疑え〜失敗の本質(後編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-12-09 18:45:00]

【閑話休題】第193回・定説を疑え~失敗の本質(後編)


▼結論から言えば、真珠湾はやってはいけない作戦だったのである。この作戦を指導した山本五十六海軍大将は、戦後、日本の軍人では珍しく好意的に受け止められ、半ば神格化されている。が、正直な感想では、この人物の戦争や作戦に対する中途半端さ、不徹底さが、あの敗戦の最大の原因の一つだったとさえ言える。

▼近衛首相に、「アメリカと戦争になったら、どのくらい闘えるか」と聞かれて、「半年や1年は思う存分に暴れてみせますが、それ以降は保証できません」と答えた。事実である。ならばなぜ、その作戦計画がハワイを叩くだけという“中途半端で不徹底のきわみ”なのか。日本が負けた最大の理由は、この海軍の作戦計画の“お粗末さ”が原因だったとさえ言える。

▼そもそも、この作戦は奇蹟に近い博打だった。同じ博打なら、なにゆえ本気を出してハワイ攻略まで視野に入れなかったのか、あまりにも無責任で、不徹底な先制攻撃が、この「プロジェクト真珠湾」の実態だった。アメリカは正常な理性を持っていたから、真珠湾攻撃の後、当然日本がハワイを攻略し、さらに米国本土へも上陸するはずだと信じていた。だからこそ、西海岸の防衛陣地構築と戦時動員を下令している。戦争とはそういうものだろう。相手に一発ビンタしただけで終わるという、日本海軍のグランドストラテジーの欠如ぶりには、正直、呆れるとしか言いようがない。

▼どうしても米国と開戦するという判断を下したのなら、あくまで真珠湾を叩かず、フィリピン攻略だけにとどめるべきだった。米海軍が総力を挙げてフィリピン奪還にやってくるのを、航空機動部隊と大和級戦艦の投入によって、壊滅させるのが筋だったのだ。丸腰のハワイは、労せずして攻略できるはずだった。あとは、米国本土に全力で突入していく以外にない。短期決戦なら必敗必至のアメリカには、時間稼ぎなど通じないのだ。なにしろ、アメリカはできるだけ戦争を長引かせ、大工業生産力による数の勝負に持ち込もうとしていたのだから。

▼このほかにも、実はあの戦争はやりようがあった。ひたすら、対米戦争を回避するという判断である。なにゆえ、理不尽な「ハル・ノート」を突きつけられたとはいえ、対米開戦は不可避だと悲観的に思い込んだのか、未だに私は不思議でならない。ルーズベルト大統領は、「戦争をしない」ということを公約にして大統領になった人物である。本人はドイツを潰したかったが、国民世論は圧倒的に欧州戦線への参戦には反対だった。ましてや、対日戦など想像もできない状態だったのだ。

▼つまり、日本が先に手を出さなければ、アメリカは日本と戦争する口実がない。それでは国民世論を説得することもできず、ひいてはドイツとの戦争も始めることができなかったはずだ。日本は別の選択肢としては、真珠湾もフィリピンも攻撃してはならなかった。アメリカ資産には指一本触れることなく、ひたすら石油を確保することだけを目的に、南方へ全力を傾けるべきだったのである。

▼オーストラリアにも手を出さず、東南アジアからインド圏だけを手中にすることで、アメリカの持久戦計画には十分に耐えられたはず。シンガポールを落とした直後に、海軍の総力を挙げてインド進攻を行なっていれば(英インド洋・太平洋艦隊はすでに全滅していた)、この段階であっという間にインドは陥落しただろう。後年のインパール作戦では、遅すぎる。

▼太平洋全域からビルマまで、戦線が目一杯広がった時点で、しかもあの補給態勢と戦力では、確かに無謀・愚策のそしりを免れない。ところが、その実際のインパール作戦でも、現地軍(とくに第33師団)の悲壮なまでの突撃で、実は英軍の防衛拠点は崩壊寸前だったことが、戦後明かになっている。

▼初戦のシンガポール陥落直後に、全力でインド攻略に向かっていたとしたら(対米戦を回避しているから、これは可能だった)、インドを失陥した英国はドイツに降伏していた可能性が高い。英国は、北アフリカをドイツのロンメル機甲師団に席巻されていたので、中東からの石油はインド洋・喜望峰回りで調達していた。食料は、ドイツの連日の空襲と、Uボート(潜水艦)の無差別攻撃により、全土の備蓄が10日を切るところまで追い詰められていた。それほどインド攻略は、あの戦争の帰趨を握るキーポイントだった。インド洋アフリカ沖の制海権を完全に日本が抑えてしまえば、英国は日干し同然だった。

▼第二次大戦の序盤、フランスはあっという間にドイツに降伏している。日本のインド攻略で英国が降伏をしたら、アメリカは孤立無援である。しかも、真珠湾攻撃がなければ、ドイツにさえ参戦する「正当な」きっかけや口実を見つけられなかったアメリカである。いつまでたっても、切歯扼腕して日独の「世界征服」にただ手をこまねいているしかなかったことだろう。

▼しかも、インド攻略は、米英から蒋介石(重慶政権)に対して行なわれていた軍事物資の補給路(昆明ルート)を完全に遮断することになる。中華民国でさえ、ついには降伏あるいは講和に応じ、むしろ国内の共産党弾圧に専念させることに道を開けた可能性がある。

▼もうこうなると、破竹の勢いでソ連に侵攻していたドイツがある一方、こんどは全力で北進、東西からソ連を突き崩すという線が可能になってくる。どうだろうか。こうした考え方は、しょせん妄想だろうか。いや、十分に可能性のあるシナリオだったのだ。少なくとも、中途半端な“ビンタ”程度で相手が「一瞬」ひるんでいる隙に、場当たり的な作戦で戦線を拡大・自滅するのに比べれば、遥かに賭ける価値のあるシナリオだったと言える。要するに、何を捨てて、何を取るのかというグランド・ストラテジーの欠如が、追い込まれたアメリカに捲土重来を許す結果になったのだ。

▼確かに歴史には、if(もしも)はない。起こった事実だけが、真実だろう。しかし、「あれは無謀な戦争だった」だけで片付け、68年間も思考を停止させていたことは、リアリスティックな判断能力の育成を大いに阻害したと思っている。それが日本のその後の政治、経済、企業活動、ひいては個人の人生の選択にも悪影響を与えたことは間違いない。

▼開戦を目の前にして、戦争という手段ではなく、外交ではいったいどういう別の選択肢があり、現実性が高かったのかという点については、また機会を改めて、考察してみたいと思う。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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