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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第210回・ヴェノナ文書〜なかったことにしたい真実(?)

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【閑話休題】第210回・ヴェノナ文書〜なかったことにしたい真実(?)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-01-08 18:45:00]

【閑話休題】第210回・ヴェノナ文書~なかったことにしたい真実(?)


※歴史問題が、かまびすしい世の中になっています。
中韓の対日非難が、日を追って苛烈になってきているのも異様です。
少々長い読み物(全4回)になってしまいますが、かなり衝撃的な史実なので、敢えて連載させていただきます。

▼2005年5月7日のこと。米国ブッシュ大統領は、バルト三国のラトビアの首都リガ市内で演説した。そこで第2次世界大戦末期、1945年に米英ソの3首脳が戦後の世界統治のあり方を協議したヤルタ会談での合意について、「歴史上最大の誤りである」と批判した。(注:ヤルタ会談=米国ルーズベルト大統領、英国チャーチル首相、ソ連スターリン最高指導者の三者会談)

▼戦前の、英独のミュンヘン協定では、ナチスの矛先が英仏に向けられるのを避けるためにヒトラーの関心を東欧へと向けさせ、ポーランドをはじめとする東欧諸国や、バルト三国の独立性を犠牲にした。その後、第二次大戦中、1945年(昭和20年)2月、米英ソ連の首脳がヤルタに集まり、ドイツ降伏後の世界体制について密約がなされた。

▼その内容は、結局、バルト三国がソ連に再び併合されることを容認したものだった。なぜ米国(ルーズベルト大統領)がそこまでソ連に譲歩したのかというのは、米国においてさえ、これまで疑義が呈されている大きな謎だ。

▼ただ、一つの重要なその理由として言われてきたのは、最後まで戦っていた日本にとどめを刺すため、ソ連の対日参戦を促すというものだった。その交換条件として、南樺太と北方領土および千島列島全域のソ連への「引渡し」を合意した点である。

▼それにしても、なぜそこまでソ連の参戦が必要だったのだろうか。正直、その必要はなかったのだ。すでにドイツは降伏寸前だったから(ドイツは3ヶ月後に降伏)、米軍は太平洋に主力を集中させることが可能になりつつあった(日本は半年後に降伏)。

▼なるほどソ連が日本に参戦すれば、日本のショックは大きい。しかし、現実には、ソ連の参戦前に米国は原爆を投下したではないか。広島は8月6日、長崎は9日である。ソ連の対日参戦は、この9日だった。それも、日本の降伏拒否が長引けば、広島、長崎の二都市に留まらず、全土での使用を予定されていた。ソ連の参戦の必要性は、どう考えてもなかったのである。

▼あらかた、大勢の決まったあの段階で、最後の最後にソ連を極東の戦争にも関与させてやり、大きな利権と戦勝国としての発言権を得る地位を与えた。この点、ヤルタ協定は歴史上その必要性について、大変多くの議論を巻き起こしてきた。

▼ブッシュ大統領がリガで演説したその内容は、このヤルタ協定が、その後の長い冷戦時代、東欧におけるソ連の圧制を生む諸悪の根源と非難しているものだった。またヨーロッパの分割を認めたことに、アメリカも一定の責任を持っているとの認識を示した。直接、極東におけるソ連の対日参戦や、北方領土などの問題にはこの演説では触れていないが、ヤルタ協定に疑義を呈するということは、極東問題にも疑義を差し挟んだのと同じである。

▼ただ、演説した人物が不人気なブッシュ大統領だったということで、あまりその後、大きな波紋を呼んだ形跡はなく、やり過ごされた観がある。とくに米国のリベラル派(民主党に多い)にとっては、民主党政権が行なった第二次大戦だけに、汚点や暗部を暴き出すことには消極的だったようだ。冷ややかに聞き流した程度だった。

▼しかし、よく考えてみよう。ニューディール政策に失敗して後がなくなったルーズベルト大統領にとって、あの戦争はドイツ第三帝国を叩き潰し、欧州大陸の経済支配を進めたいというのが眼目であった。さらに、アジア・太平洋においては、日本を排除して、中国大陸の経済支配を進めたいというのが直接的な動機だった。戦争に参加することで、軍需景気を引き金として、欧州・中国の商圏を獲得し、1929年以来の大恐慌からの脱却を目論んだものだったことは言うまでもない。

▼では、あの戦争で最大の勝利者は誰であったろうか。言うまでもなくスターリンのソ連である。米国は欧州の東半分を失い、中国市場を失い、日本が明治以来、連綿と死守してきた朝鮮・満州という防波堤を失った。結局、ソ連・共産主義の膨張を許し、朝鮮戦争で慌てて、かつて日本が築いた防波堤の奪回を試みるが失敗し、38度線でぎりぎり食い止めたにすぎない。結果的に、日本が築いたものを取り戻せずに終わっている。

▼その意味で米国は、あの戦争では敗北したのと同じである。それは遡れば、ルーズベルトが大統領に就任して、最初に行なった不可解な判断に帰することができよう。それは、米国のソ連承認である。1933年、ルーズベルトは、就任早々、共和党などの反対を押し切ってソ連政府を正式な政権として承認した。このルーズベルトの変節は、米国史においても特筆すべき、外交戦略の大失策であったと言っても過言ではない。

▼では、なぜ、ルーズベルトはそうした徒労の情熱に邁進してしまったのだろうか。この大きな疑問に答える決定的な証拠が出てきたのである。その名は、「ヴェノナ文書」。米国政界や歴史学界を、驚愕させた機密文書である。

▼すでに過去のことでもあり、これが現在、何か差し迫った問題を生じさせているということはない。ただ、歴史を正しく見直すのであれば、この文書の意味は、これまでの歴史認識を根底から覆す威力を持っている。

▼ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ国内のソ連のスパイ・工作員たち(各国共産党代表による「国際コミンテルン」という実行部隊)が、モスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し、解読した記録である。1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。

▼冒頭のブッシュ大統領のリガ演説も、この文書によって明らかになった事実に基づきなされたと考えられる。これによって、太平洋戦争に道筋をつけた日米指導者、ルーズベルト大統領と近衛文麿首相の周囲は、驚くべきことに、コミンテルンによってがっちり固められていたことが判明したのだ。

▼「ヴェノナ文書」の公開以降、米国内では、「ルーズベルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの『疑念』が、確信へと変わりつつある。当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。しかも、そのピッチは近年、急加速していると言ってよい。

▼この場合、工作員(スパイ)とは、共産主義へのシンパ、共鳴者だ。そして、他国の国家・政府の内部にこのシンパを増殖させることで、戦前のソ連は大成功した。工作員たちは、自国において共産主義革命を起こすために、さまざまな情報をソ連に流し、陰謀を図った。それは、自国への裏切りなのではなく、純粋に共産主義革命という信仰ゆえの“大義”だったのである。

(明日の「?」に続く)

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄





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