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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第211回・ヴェノナ文書〜なかったことにしたい真実(?) 前半

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【閑話休題】第211回・ヴェノナ文書〜なかったことにしたい真実(?) 前半

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-01-09 18:45:00]

【閑話休題】第211回・ヴェノナ文書~なかったことにしたい真実(?) 前半


▼事の始めはなんといってもソ連だ。ロシア革命の大立者・レーニンは1919年(大正8年)、世界共産化を目指してコミンテルンを創設した。別名「第三インターナショナル」と呼ばれるもので、共産主義政党による国際組織である。もともとは、各国の共産主義者の代表の集まりだったが、レーニン以降はソ連共産党による世界革命、あるいはソ連防衛のための国際謀略組織と化した。

▼日米各界に大量のスパイを潜り込ませたレーニンは、1928年(昭和3年)、コミンテルン第6回大会でこのように述べている。

「帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々母国政府の政策失敗と、この戦争を内乱化させることを主要目的としなければならない。戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
?自国政府の敗北を助成すること。
?戦争を自己崩壊の内乱戦にすること。
?民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるから、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること。

この革命的前進を阻止するような『戦争防止』運動は、徹底して妨害しなければならない。」

▼さらに昭和10年( 1935)の第7回コミンテルン大会で、スターリンは次のように述べている。

「ドイツと日本を暴走させよ。しかし、その矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして、戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って進んだ跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」(有名な「砕氷船理論」)

▼ソ連は反ファシスト人民戦線の形成を各国共産党に指令しておきながら、ドイツとは1939年に独ソ不可侵条約を締結し、日本とは1941年に日ソ中立条約を締結している。そして日本を中国とアメリカ・イギリス、ドイツをイギリス・フランスと戦わせて、最後に漁夫の利を占める戦略を立て、ドイツ・日本の敗戦が近いと分かった時点で条約を破棄し、それぞれに宣戦布告している。

▼これは「砕氷船理論」のシナリオ通りで、最初から強国同志(日・独vs米)を争わせて疲弊させ、日・独が荒らしまわった地域と日独両国を共産主義陣営に取り込もうと考えていた。ソ連はわが国のみならず、欧米諸国に多数の工作員を潜り込ませ、さまざまな工作活動を行なっていたことが次第に判明しつつある。

▼ソ連主導によるコミンテルンは、各国に潜伏するその共産主義スパイ(コミンテルンの実行部隊)によって、彼らの母国を敗戦に追い込むことが、第一義的な目標となった。この謀略の重点対象国が、日本とアメリカだったのである。この戦略を遂行するため1919年9月、コミンテルン・アメリカ支部としてアメリカ共産党も設立されたのである。ちなみに、その結成にかかわったのは日本人の片山潜(かたやま せん)である。

▼1931年(昭和6年)、アジアで満洲事変が勃発し、ソ連は日本と国境線を挟んで直接対峙することになった。日本の台頭に恐怖を覚えたコミンテルンは1932年(昭和7年)2月、日本と戦う中国を支援するとともに、対日経済制裁を起こすよう各国の共産党に指示した。驚くべきことに、この動きに呼応するように、米ルーズベルト大統領も1933年(昭和8年)、議会の反対を押し切ってソ連との国交を樹立したのだ。

▼実は、アメリカ共産党をはじめ、まったく政治的な主義主張とは本来無縁の、しかし権威ある研究所や財団などに、コミンテルンの指示を受けたさまざまなスパイが入り込み、ルーズベルト政権をがっちり固めていく過程が、この1930年代には進行していた。ヴェノナ文書によって明らかになった事実は、想像を超えるほど戦慄的なものであり、詳細はここでは割愛する。興味のある方は、一度PHP研究所発行の『ヴェノナ』をお読みいただきたい。

▼ルーズベルト自身は、1929年(昭和4年)の大恐慌後に、ニューディール政策で米国経済の建て直しを試みたが、わずか3年有効だっただけで失敗。強烈に戦争介入による軍需景気を熱望していた。一方、先祖が、中国人奴隷の米国移入商売で財をなしたということが、個人的には大きな精神的な負い目となっていたようだ。このため、ことのほか親中国(反日)的な心情にあった。ここに、コミンテルンがつけこんだ、ということであろうが、そのコミンテルン人脈(つまり、ソ連のスパイ人脈)たるや、ヴェノナ文書は背筋が寒くなるような事実を明らかにしている。

▼在ニューヨーク日本総領事館が作成した昭和15年( 1940年)7月付機密文書『米国内ノ反日援支運動』によれば、「中国支援評議会」の名誉会長に就任したのは、ジェームス・ルーズベルト夫人だった。ルーズべルト大統領の実母である。表向きはこのルーズべルト大統領の実母が役員を務めた「中国支援評議会」だが、その実態はやはりアメリカ共産党の外郭団体だった。他の常任理事には、フィリップ・ジャッフェや冀朝鼎ら、ヴェノナ文書によって明らかになった「ソ連のスパイ」が就任している。

▼ただ、当時の一般のアメリカ人たちの目には、ジャッフェもプライス女史も中国救援に熱心な人道主義者、民主主義者と映っていたに違いない。中国支援評議会の活動に協力したアメリカ人は約300万人とも言われているが、アメリカの大多数の国民は見事に騙されていたわけだ。

▼キリスト教関係者を前面に出しながら、その実態は中国国民党の工作員とアメリカ共産党関係者によって構成されていた「アメリカ委員会」は、『日本の戦争犯罪に加担するアメリカ』と題したブックレットを6万部、『戦争犯罪』と題したパンフレットを2万2000部作製し、連邦議会上下両院のあらゆる議員やキリスト教団体、婦人団体、労働組合などに配布し、大々的なロビー活動を開始した。

▼このロビー活動を受けてルーズベルト政権は、中国支援へと舵を切っていく。ルーズべルト大統領は1938年12月、「対日牽制の意を込めて」、中国国民党政府に2500万ドルの借款供与を決定したのである。(続く)




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