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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第213回・ヴェノナ文書〜なかったことにしたい真実(?)

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【閑話休題】第213回・ヴェノナ文書〜なかったことにしたい真実(?)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-01-14 18:45:00]

【閑話休題】第213回・ヴェノナ文書~なかったことにしたい真実(?)


▼なぜブッシュ大統領が、ヤルタ協定を「史上最大の過ちの一つ」と非難したことで、戦後の国際秩序の基本原則を揺るがすことになるのか。ヤルタ協定では国際連合を新設し、戦勝国(米英仏ソ中)主導で国際秩序を維持する、日独に対しては「侵略国家」として戦争責任を追及するとともに軍事力を剥奪し徹底的に封じ込める、という基本原則が確認されたからである。GHQが憲法九条を強制したのも、東京裁判を実施して「侵略国家」というレッテルを貼ったのも、ヤルタ会談で確認された基本原則に基づいている。南京虐殺のような捏造も、すべて国際コミンテルンにしてやられた冤罪の可能性が高い(「連載第181回 南京のまぼろし」参照)。

▼戦後、まともな研究者たちの間では、なぜ第二次大戦の救世主であったはずのアメリカが、あの戦争によってすべてを失い、共産主義国家との泥沼の戦争を継続しなければならなかったのか。なぜ、戦勝国アメリカが、実質的には戦争に負けたのと同じ結果に陥ってしまったのか。なぜ、最終的な勝利者は、スターリンと中国共産党になってしまったのか。これらについては、長年疑問とされてきた。

▼ソ連政府承認、対日挑発、ヤルタ協定における過剰なほどソ連に有益な秘密協定、こうしたあまりにも不可解なルーズべルト政権の政策判断の謎に、明確な答え、種明かしを与えたのが、ヴェノナ文書だったわけだ。それは先述の、近衛内閣の、あまりにも異常なほど戦争に傾斜していった流れにも同じことが言える。

▼かくして後に、政治学者たちから「ヤルタ体制」と呼ばれるようになった戦後の国際秩序の出発点を、こともあろうに当事国であったアメリカのブッシュ大統領が正面から批判したのである。現職の大統領が自国の大統領が行なった外交政策を公式に非難するのは極めて異例で、国際社会でも少なからぬ反響を巻き起こした。

▼これに対してロシアのプーチン大統領は、2005年5月7日付仏紙フィガロで、ヤルタ協定について次のように評価し、ブッシュ大統領に対して正面から反論している。「米英ソの三首脳がナチズム復活を阻止し、世界を破局から防ぐ国際体制を目指して合意した。その目的に沿って国連も形成された」。もはやソ連もコミンテルンも存在しないものの、この文書がすべてにおいて現在のロシアにとって不都合な真実であり過去であることは言うまでもない。興味深いことに、プーチン大統領は、このヴェノナ文書が、捏造であるとか、でたらめであるとか、一切その真偽について否定発言をしていない。

▼このブッシュ大統領のリガ演説に対する、当のアメリカの反応はどうか。アメリカ最大の保守系オピニオン・サイト「タウン・ホール」に、「草の根保守」のリーダー、フィリス・シュラーフリー女史は2005年5月16日付で論説を書いている。

《ジョージ・W・ブッシュ大統領に感謝する。時期がだいぶ遅れたとはいえ、誤った歴史を見直して、フランクリン・D・ルーズべルト大統領の悲劇的な間違いのひとつを指摘し、よくぞ謝罪の意を表明してくれた。》

シュラーフリー女史は更に、この協定によって我々アメリカ人は現在、中国の共産主義帝国の台頭と北朝鮮の核開発に苦しまなければならなくなったとして、次のように訴えている。

《ルーズべルトの擁護者(主に民主党系のリベラル派)は、スターリンを日本との戦いに引き込むためにはこれらの譲歩が必要だった、と正当化しようとした。ヴェノナ文書は、その主張が間違っていたということを証明している。》

▼ヴェノナ文書は、ルーズべルト大統領自身が容共的であった証左として、大統領周辺には 約200人もの共産主義者、そのシンパが採用されていたリストを公開している。 その内容は生々しい。側近No.2のハリー・ホプキンズなどは、モスクワでは「役に立つ間抜け」と言われていた。国務省のアルジャー・ヒスはヤルタ協定原案を作成した人物だが、ソ連暗号名は「アリス」。この人物は、ルーズべルト大統領、トルーマン大統領の情報をソ連へ提供。ヤルタ会談時にソ連から叙勲されている。国際連合憲章の起草者の一人である。書き出していったら、キリがない。日米の政府首脳が、いかにコミンテルンにいいように操られてしまっていたのか、こうなるともはや開いた口がふさがらないほどだ。

▼ルーズべルト大統領が大戦末期に死去した後、その周囲の共産主義シンパらは、連合国軍総司令部(GHQ)の民政局内部に局員として多数来日し、民主化という美名の下に“社会主義国家日本”を作ろうと暗躍した。そして、日本の精神的解体を画策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=戦争犯罪情報計画)していった。

▼しかし、ヴェノナ文書によって初めてソ連によるスパイ活動の存在が明らかになったわけではない。例えば、ヴェノナ文書公開のはるか以前から、それも開戦以前の1939 年(昭和14年)9 月にホワイト、ヒス、カリーを始めとする政府内ソ連スパイらは、連邦議会において実名で告発されている。ヴェノナ文書自体、公開前から一部関係者がその内容がリークされていたのだ。

▼しかし、戦前、米国の多くの知識人は、「ソ連のスパイ活動」という告発を、「右翼勢力による根拠薄弱なでっち上げである」と主張。今でも、リベラルという「物分りのよい人士」たちは、こうした事実にできるだけ目を向けないようにしている。「不都合な真実」だからである。戦後のヴェノナ文書の完全公開は、こうした主張に鉄槌を下すことになったという意味で画期的であろう。

▼ルーズベルトの政敵であった共和党党首のハミルトン・フィッシュは、『日米開戦の悲劇』という本を書いており、1991年に亡くなる前、談話も残している。フィッシュは外交委員であるにもかかわらず、ル-ズベルトからハルノ-トなるものを日本に通告していることは、まったく知らされていなかった。フィッシュは、「あんなものを通告されたら、日本は戦争をするしかないだろう」と、語っている。

▼フィッシュはハルノ-トのことを知らなかったため、真珠湾攻撃に対して米国民と一緒に、「非道なる日本撃つべし」と強硬に主張した。が、彼はその後40年にわたって日米戦争について研究を続け、驚くべき発見をした。それは日本に対して屈辱的な内容の「ハルノート」を書いたのが、後にソ連のスパイだと判明したハリー・デクスター・ホワイトであったことだと述べている。

▼このソ連・コミンテルンによる日米を標的とした、スパイによる国策壟断、無益な太平洋戦争への誘導といったものに対し、戦争途中で死去したルーズベルトに代わったトルーマン大統領時代には、「保守派」による猛烈な反撃が始まった。日本占領軍総司令部GHQには、マッカーサーをして「在任中に出会った最も優れた知性派の将校であり、陸軍広しといえども将軍に続く人物を探し出すのが、まったく困難なほどずば抜けた人物であった」と言わしめたチャールズ・ウィロビー少将がいた。この人物が、日本においては、「赤化」を阻止し、それまで日本をズタズタにしかけていた占領政策の方針大転換を引き起こす要となっていく。

▼ウィロビーは、かなりソ連の対日工作や謀略の核心に迫っていた。GHQ における情報担当最高責任者として、彼はヴェノナ文書の内容を知っていた可能性もある。この回想録は1973年に『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』という書名で番町書房から刊行された。その後長い間絶版となり、山川出版社から『GHQ 知られざる諜報戦 新版ウィロビー回顧録』という書名で、再刊されている。この回顧録には、日本人がマスコミなどで知らされてきた歴史とはまったく異なる見方が描かれおり興味深い。

『この回想録をまとめるにあたって、私がまず第一に言いたいことは、太平洋戦争はやるべきではなかったということである。米日は戦うべきではなかったのだ。日本は米国にとって本当の敵ではなかったし、米国は日本にとっての本当の敵ではなかったはずである。歴史の歯車がほんの少し狂ったせいで、本来、戦うべきではなかった米日が凄惨な戦争に突入したのだから。
私が書いたもののすべての基調となるのは、日本との戦争、あるいはドイツとの戦争は西側の自殺行為であったということである。たとえ日本がどんな誤りを犯すとしても、どんな野望を持つとしても、米国が日本を叩きのめすなら、それは日本という米国にとっての最良の防壁を自ら崩してしまうことになるのである。ところが、あの不幸な戦争の結果、ロシア、中国を牽制してあまりあったはずの日本およびドイツの敗戦のゆえに、現在(編注:1971年現在)では、共産主義国家とされているソ連、かつての帝政ロシアそのままの圧政をしくソ連による異常な破壊転覆活動が、今日われわれにとっての頭痛のタネとなっているのである。
共産主義国家のいわゆる『革命の輸出』と呼ばれる破壊工作は、もし、わが国が日本を東洋の管理者、ドイツを西洋の管理者にしていたなら、けっして現在のような脅威の対象にはならなかったはずである。わが国はこれら二国と共同戦線を組むかわりに、破壊してしまったのだ。』

▼ソ連という国家が崩壊してしまったので、若い世代には分りにくいかもしれないが、ウィロビーの主張を一言でいうと、当時、米国にとっても日本にとっても、本当の敵はソ連であり共産主義であったということだ。ブッシュ大統領は、あのときリガで「歴史の修正」への第一声を挙げ、世界に一石を投じた。

▼アメリカは日本との戦いに勝利したが、5年後の1950年には朝鮮半島の38度線を挟んで共産主義勢力と対峙し戦うこととなってしまった。その朝鮮戦争終戦後もソ連・中共との冷戦が長く続くことになったのだが、ベトナム戦争も、冷静に歴史を振り返ってみると、ウィロビーの述べていることが正しいように思える。こうした機密文書が、少しずつ公開されていく。中韓が声高に唱える歴史こそ嘘だらけであることが、世界の常識になる日がやがて訪れることになるだろう。最近の中韓の焦りには、そうしたものへの彼らなりの危機感(自国民を欺いてきた事実が露呈すること)があるに違いない。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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