【日刊チャート新聞記事紹介】
[記事配信時刻:2014-01-15 18:45:00]
【閑話休題】第214回・振袖と成人式
▼先日の成人の日は、どうだったのだろうか。最近とんとテレビというものを見ないので、各地の成人式の様子というものに疎い。一時期は荒れていたものだが。いつも、不思議に思うことがある。なぜ、成人を迎える女性たちには、振袖を着るケースが多いのだろうか。
▼聞く所によると、彼女たちは成人式が近づいてくるとにわかに振袖を両親にねだり、買ってもらうことが多いらしい。結構、金額も張るだろう。帯や足袋などの小物を含めれば、何十万円という世界ではないのだろうか。それでも、生涯のうち何度も着るチャンスはなさそうだ。せいぜい、友人の結婚式に着ていくくらいだろうか。
▼振袖の寿命が短いのは、結婚すると振袖を着なくなる、着てはいけないといったような習慣、あるいはしきたりがあるからだと言われる。確かに、振袖は「未婚女性の正装」というイメージが強いが、和服などほとんど着ない日本人が多くなってきている中で、この頑迷なまでのしきたりが残っているということはどういうことだろうか。
▼どうも話はずっと昔に遡るらしい。男性が女性に対して求愛、求婚をするのに際して、女性がこれに直接言葉で答えるというのは「はしたない」といったような社会認識があったようだ。それはなんとなく分かる。ましてや、女性のほうから言葉で求愛するなどというのはもってのほか、という時代があった。
▼そこで、振袖の重要な役割が登場する。そういう場合、女性は、振袖の振り方で、男性に求愛の意思表示をしたのだという。いわば、野球のブロックサインと似たようなものだ。
▼具体的には、振袖を左右に振ると「好き」という意味で、前後に振ると「嫌い」という意味だったそうだ。今でも、男女の関係では「振った」とか「振られた」などという言葉が市民権を維持しているが、これなどはもろにこの習慣からきているようだ。いまや振袖が衣服の化石となりつつある中で、言葉というものは独立して生き続ける。不思議なものだ。
▼振袖の本来の役割、つまりこの言葉の原義からすれば、男が女に「振られる」ことはあっても、女が男から「振られる」ことはないはずである。しかし、これも現実とは違う。これまた不思議なことだ。
▼ちなみに、女性は結婚してしまうと、こうしたブロックサインを送る必要がなくなるので、振袖を着ないで留袖を着るという習慣が生まれたらしい。というのも、昔は今期を逸すると恥だという意識が強かったわけで(今はまったくそういう意識が薄れたようだが)、結婚したら、嬉々として留袖を着るようにしていたようだ。
▼今の結婚式などでは、新婦以外の既婚女性なら留袖、というしきたりらしいが、歴史的にこうした流れがあるためなのだろう。
▼ところで、男はどうなのだろうか。たいていは袴かスーツかという出で立ちだが、圧倒的にスーツのような気がする。浴衣はともかく、袴というのは女性の振袖と比べても、さらに一段と“化石化”してしまっている。しかし、どういうわけなのか、だいたい各地で騒ぎを起こす問題新成人は、まず十中八九、袴姿が目立つ。
▼目立ちたがりの自己顕示欲が、そのような結果を導いているのだろうか。見かけは大事だが、結局のところ「人間は見かけではない」ということが彼らには分かっていないらしい。袴などは、「見せられるものができてから着ろ」とでも言いたくなる。もっとも、見せられるものがある男は、敢えて着るもので自分を誇示しようとはしないだろうが。
増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄
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