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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第295回・トレジャーハンター

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【閑話休題】第295回・トレジャーハンター

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-05-15 15:28:00]

【閑話休題】第295回・トレジャーハンター

▼さる5月5日、米国南部サウスカロライナ州沖の大西洋で、1857年に沈没した船から計約30キロ、時価約130万ドル(約1億3千万円)相当の金の延べ棒や金貨が発見された。

▼海底探査を行う米企業(オデッセイ社)が4月、深海2200メートルに沈んでいた「セントラルアメリカ号」の中から金の延べ棒5本と金貨2枚を発見したことから、にわかに期待がかかっていたが、大量の財宝を引き上げることに今回成功したのだ。

▼同船はカリフォルニア州から、銀行などによって発送された金をニューヨークに運ぶ途中にハリケーンに遭って沈没。船には今回見つかった以外にも、大量の金が積まれていたとされる。

▼実はこのセントラル・アメリカ号の積荷だった金塊の消失は、このニュースが東部に伝わったことで、取り付け騒ぎとなり、同年の株式市場暴落と恐慌の引き金になった事件なのだ。

▼セントラル・アメリカ号の探査はこれまで20年以上、法的な問題で中断されていたが、3月にオハイオ州の裁判所から許可が出たため、オデッセイ社が探査を再開したものだった。

▼思えば沈没船の財宝引き上げくらい、夢とロマンを掻き立てるものは無い。古来、どれほどの人がこの無謀な賭けに資金と労力をつぎ込んできたことだろう。

▼もともとスペインが、アメリカ大陸を目指したのも、大航海時代で喜望峰からインド洋を回り日本を目指したのも、「エルドラド(黄金郷)」伝説ゆえだった。

▼このオデッセイという会社だが、いわゆるプロのトレジャーハンターの会社なのだ。上記のセントラル・アメリカ号の運搬金は、アメリカの金融史上非常に貴重な財宝として記録に残ることだろう。

▼しかし、オデッセイが過去引き上げた財宝の規模たるや、このセントラル・アメリカ号の歴史的意味は別として、金額ではもっと凄いものを発見しているのだ。ナポレオン戦争当時、南米とスペインとの間を周航していた「メルセデスの新婦たち」号の財宝だ。

▼この「メルセデス・・・」号は、ペルーで採掘、鋳造された金貨、銀貨約60万枚(コレクター価格で約400億円の価値、銀貨59万4千枚含む)を積んだ大型帆船だった。ペルーからスペインに戻る途中の1804年、英国戦艦の攻撃によりに沈没。

▼オデッセイがこれを2007年に引き上げたが、誰に所有権があるかで、米フロリダ州タンパの連邦裁判所はスペイン政府に所有権があるとする判決を下した。オデッセイによれば、2億円も費用がかかったというから、とんだ「くだびれもうけ」だ。

▼ちなみに、このオデッセイは、米国株式市場に上場されており、ティッカーはOMEXだ。現在1ドル台というとんでもないペニーストックだ。史上最高値でも9ドル台と、その振れ幅は平気で5倍から10倍を行ったり来たりするものの、とてもではないが、投資できるような代物ではない。さすがに事業内容そのものが投機だけに、株価の絶対水準も、またその値動きもおよそマネーを投入する気にはなれない。

▼このトレジャーハンターというのは、大きく二つに分かれる。一つはこれまで引き合いに出してきたような難破船のような例。つまり、そこに財宝のある可能性が非常に高い場合。もう一つはあるんだかないんだかわからない埋蔵金というような例だ。

▼この埋蔵金というのは、日本でも、徳川埋蔵金、武田埋蔵金などが有名だし、海外でもキャプテン・キッドの埋蔵金、山下財宝(フィリピン)など枚挙に暇がない。実際、生涯これを追い続けている人たちは結構多い。

▼われわれ一般人にとっては、まったく次元の違う世界の話だが、話としてはこれだけ面白いものも無い。自分勝手に想像をたくましくして楽しむには、「山と渓谷社」から「世界の難破船と財宝地図」という大型本がある。( 1995年発行)

▼いやいや、いくら夢のような話でも、そこまで手の届かない海洋の話ではなく、やはりもしかしたらなどとスケベ心がうずく埋蔵金のほうがいいという人には、「日本の埋蔵金」研究所というサイトがあるから、ご覧になったらどうだろう。

▼ちなみにそのサイトによると、日本における史上最高金額の埋蔵金発見は(正式に記録に残るもので)、1963年の東京都中央区新川1丁目で発見された、小判1900枚、二朱金78389枚だそうだ。

▼日清製油の本社ビル増築工事中に、大成建設作業員が地中1.5メートルのところから出てきた煉瓦敷きの下で見つけたのだそうだ。びっしりニ朱金がつまった直径13cm、高さ25cmのガラス瓶3本だという。

▼さらに翌月別の作業員が、5本を発見。こんどは、天保小判も入っていた。合計で、当時6000万円相当の評価。現在の価値に直すと、6億円だそうである。

▼この新川の埋蔵金は、江戸中期から終戦まで、その地に酒問屋「鹿島屋」が存在し、代々の当主によって蓄財された財宝であることが、後に証明されたようだ。結果、所有権者として鹿島屋十代目(当時58歳)に、その財宝が引き渡され、発見者には報労金が現物支給されたのだとか。一体、いくらもらったのだろう。下司のかんぐりをすぐにしてしまう情けなさ。御宅の庭にも、もしかしたら・・・。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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