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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第297回・真珠

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【閑話休題】第297回・真珠

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-05-19 15:14:00]

【閑話休題】第297回・真珠

▼真珠というと、昔はとにかく高価なイメージがあった。今では、一粒で数十万円するものから、ネックレスに仕立てても数千円程度で購入できるものまで、ぴんきりだ。

▼国産か、海外産かで、大きな差が出る。高価なものはほとんどすべてといっていいほど国産だ。真円が基本なのだ。

▼これに対して激安真珠はその多くが中国産。しかも、揚子江などの川で養殖される、淡水真珠だ。淡水真珠は、かつては形は長細い上に、真珠の色自体がばんでおり、とても日本真珠の代わりとして使えるレベルではなかった。しかし今では養殖技術がかなり向上して形も色もよくなり、高級真珠にはやはりかなわないものの、普段使いにはじゅうぶんの、価格以上の美しさには見えるレベルにまでなってきている。

▼真珠といえば、なんといっても真珠養殖法を開発し「真珠王」と呼ばれた御木本幸吉
(みきもと こうきち)が有名だ。1954年に96歳で亡くなった。

▼幼少時代にお金に苦労したので、誰よりも目立ち、誰よりも稼ぎたいと常に考えていたそうだ。明治8年、御木本が13歳の時、鳥羽にイギリス軍艦が入港した際、野菜や鶏卵を売ろうと考えたのだが、コネのある大人ばかりが稼いでいて相手にして貰えなかった。

▼そこで小舟に乗り込み、軍艦の近くまでいき、その船の上で足で傘などを廻す芸をして見せた所、気に入られ船に招き入れられ野菜などを全て買って貰うことに成功したという。
直接商売と結びつかないような事をしても、目立った方が勝ちだと考えたようだ。

▼その後、真珠の養殖に乗り出し、そこそこの成功を収めたのだが、この男、不思議な人物との邂逅がある。発明王のエジソンだ。なんでも知りたがり屋のエジソンは、御木本から養殖真珠の作り方を聞き出そうとした。御木本は「あなたになら秘密を教えましょう」と説明したそうだ。エジソンは、「ミキモトは、なんと太っ腹な男だ」と最大級の賛辞を述べている。が、実はエジソンに話した養殖法は、すでに公表されているものばかりで、本当の企業秘密は語っていなかったそうだ。

▼養殖に成功して、大正5年に上海支店、昭和2年にニューヨーク支店、昭和3年にロンドン、昭和4年にパリに支店と進出していく。世界で初めて真珠養殖に成功したミキモトに敬意を払い、真珠の重さの単位は世界中で「匁:もんめ」という単位が使われている。英語で「momme」と表記し、発音は「モミ」となっている。ちなみに1匁は3.75gで、どのぐらいの重さかと言うと5円玉の重さだ。

▼この真珠は、かつてはダイヤモンドをしのぐ価格帯の時期もあったらしいが、世界的に需要が激減していったそのきっかけは、1967年だった。ミニスカートの出現である。これで、女性の衣料・ファッションが革命的に変わってしまったためだと言われる。

▼どうしても真珠というと、フォーマルなイメージから抜け切れないのだろうか。この真珠が、ファッションの脇役として存在感を取り戻すことはできるだろか。確かに真珠というものは、ダイヤとは違う。ダイヤは人を選ばないが、真珠は人を選ぶ。真珠を身にまとうには、どうしても品格が要求されてしまうのだ。

▼ある意味、真珠が似合う女性になるというのが、人間の質が高まる一つの試金石かもしれない。真珠こそは、日本の生んだ至高の宝飾品だ。果たして、真珠がこのスニーカーとスマートフォン大手を振るう現代社会で、その輝きを取りもどす時代がやってくるのだろうか。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄



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