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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第3回・「創造的破壊」と「カイゼン」

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【閑話休題】第3回・「創造的破壊」と「カイゼン」

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-03-05 17:27:00]

【閑話休題】第3回・「創造的破壊」と「カイゼン」

▼長い円高によるデフレ圧力から、日本が解き放たれようとしている。伝統的に苦境にあって、日本はつねに、いまや立派な英語にもなった「カイゼン」努力によって、しのいできた。日本を高く評価する一つのポイントではあるが、それも限界に近づいている。

▼これに対して、なかなか日本で起こってこないものが、「創造的破壊」というダイナミズムだ。この言葉は、19世紀から20世紀前半に生きた、オーストリア・ハンガリー二重帝国の経済学者シュンペーターの造語である。彼は、「経済成長」という概念を初めて世に出した人物でもある。その根幹は、イノベーション(技術革新)であった。それには、既存の枠組みが再構築されるための、「創造的破壊」という局面を経なければならない。ちなみに、そのサイクルは50年である、とされた。

▼米国が1950年代以来という黄金期を迎えた1995年以降、その名目GDPは7兆ドルから、現在の15兆ドルへと、2倍に増大した。一方、この間、日本は500兆円程度で、ほとんど変わらない。さまざまな理由はあるものの、決定的なのは、シュンペーターの言う「創造的破壊」の有無であろう。

▼しかも、「カイゼン」にも問題があった。果たしてほんとうに、日本企業は外国人が評価するほど「カイゼン」してきたのだろうか。つきつめて言えば、ほんとうに「選択と集中」を行ってきたのだろうか。ここにいくつかのデータがある。ここ四半世紀における、企業の研究開発費の産業別割合の推移である。

▼米国では、自動車産業はかつての37%という非常に大きな割合を占めていたが、いまでは6%に落ちている。自動車をいったんは「捨てた」のである。一方、ITは当時ゼロに近かったが、現在では13%に拡大。化学という非常に重要な基礎産業も11%から19%へと飛躍的に増大している。

▼お隣の韓国では、95年当時のデータが不明だが、ここ10数年で、テレビ・通信装置産業が35%から48%へ伸びている。これにウォン安が加わり、一気に日本のエレクトロニクスを撃破したことを裏付けている。この点は見事な采配だったとうことが言えよう。しかし、その他、たとえば、自動車、ITはむしろ減少しているのだ。従って、エレクトロニクスがウォン高でダメージを受けると、たちまち恐慌状態に陥りかねない脆弱さを、韓国は持っている。

▼それでは日本はどうか。これだけ撤退につぐ撤退を余儀なくされたエレクトロニクス産業だが、驚くべきことに四半世紀前と同じ23%の割合を維持している。つまり、結果論ではあるが、ドブに金を捨て続けてきたということになる。負けいくさの中で、それでも金を注ぎ込み続けたということだ。自動車はかつての13%から17%に増大しただけの意味があったようだ。しかし肝心のITは、韓国を笑えない。ゼロからスタートして、90年代後半に3%になったものの、現在は2%であるから、やはり減少している。

▼将来最も伸びが大きいと目されるこの分野に、この程度の割合しか金をさいていないのだ。唯一、化学が15%前後でずっと推移しており、地道な基礎研究が継続されたことは心強いが、全体としてみると、やはり米国に見られるような、ここが勝負どころだというところで、重要な産業に、選択と集中が見られなかったことは否定できない。

▼アメリカでは、株式市場の時価総額の変遷に、その偉大なイノベーションの軌跡をたどることができる。かつてGEがずっと最大の時価総額を誇っていた。それが90年代後半以降、大きくネット社会が育っていくうちに、マイクロソフトに取って代わられた。イラク戦争で一時石油のエクソンモービルが首位に躍り出たが、その後ご存知のように、アップルの時代となっている。この間、日本では一貫して首位にいたのがトヨタ自動車である。国のありようがまざまざと見せ付けられる事実ではないか。

▼日本でも、イノベーションという言葉がずいぶん踊ったものだが、それはプロセス・イノベーション(要するに「カイゼン」)にとどまっており、シュンペーターの言った、「創造的破壊」としてのイノベーションではないことは、明白だろう。変わらない産業構造、自前主義への固執。負けいくさから何も学ぶことをしないご都合主義。やはり、外圧がなければ、変わらない国なのだろうか。

▼為替が日本にフォローの風を吹かせている間に、日本は変わらなければならない。おそらく今後百年を考えても、復活の最後のチャンスであろう。国民はみな、「こんどこそ本物ではないか」と期待している。しかし、その国の政治のレベルを決定するのは、国民の資質レベルであることを忘れてはならない。変わらなければならないのは、政府より先に、わたしたち国民なのだ。

増田経済研究所
コラムニスト 松川行雄


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