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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第301回・6月の銃声、8月の砲声〜後編

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【閑話休題】第301回・6月の銃声、8月の砲声〜後編

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-05-23 15:09:00]

【閑話休題】第301回・6月の銃声、8月の砲声~後編

▼この、開戦の経緯があまりにも不可解な第一次大戦だが、終局はこれまた呆気ないほど意味不明な幕切れだった。ドイツ帝国の自壊作用である。それも、無謀な攻撃命令に対する抗命が発端だった。

▼大きな流れで言えば、要するに主演者たちが、あいついで脱落してしまうという結末だったのだ。まず、ロシアが革命勃発で、戦線から最初に脱落。もともとのセルビア問題に端を発した段階では、ロシアの総動員令こそが開戦に拍車をかけた大事件だったはずだが、その張本人が脱落してしまったのである。

▼ドイツ帝国は、さすがに国内に厭戦機運が蔓延していたが、東部の脅威が無くなったことから、西部戦線で最後の大攻勢を試みた。もともとシュリーフェン・プランというのは、「徹底的に左翼(ドイツの西側、対フランス戦線)を強力ならしめよ」という原則であり、ドイツ東部にロシア軍が侵攻してこようと、ほうっておけ、という方針だったはずだ。

▼ところが、思った以上にロシアの動員が迅速であったため、まだ西部戦線で決着がつかない序盤戦で、早くもロシア軍はドイツ東部になだれ込んできてしまったのだ。あわてたウィルヘルム二世は、本来であれば作戦通り、皇室をベルリンから西部へ移動すればよいだけのはずだったところ、東部戦線を支えるよう軍部に命令をした。

▼結果、西部戦線に全力を傾注して、フランスを短期決戦で敗退させるというシュリーフェン・プランは、貴重な二個師団を東部戦線に引き抜かれてしまったこともあって、頓挫してしまったのだ。かつて、シュリーフェン将軍が最も危惧した、「二正面作戦は、ドイツが必敗する」という原則が、現実のものとなった。

▼従って、その厄介なロシアが戦線から離脱したことはドイツにとって願ってもない最後のチャンスだった。ドイツ軍は、最後の力を振り絞って、1918年3月21日、英仏軍の間隙をつく格好で前線を突破。再びパリ東方100kmにまで到達し、開戦以来初めて、砲撃射程にパリを捉える地点を確保した。

▼3門のクルップ製超大型列車砲がパリに183発の砲弾を撃ち込み、多くの市民がパリから脱出。これはドイツ人の多くが勝利を確信した最後の瞬間であった。

▼これに対して、英仏軍はそれまでばらばらの指揮系統で作戦行動に出ていたものを、初めて統一を図ることにした。パリ中のタクシーを総動員して、兵員輸送を行い、ドイツ軍の予想を超える機動力を発揮して反撃。ドイツ軍を後退させることに成功した。

▼そこに合計120万人の米軍が新たに英仏軍に参加してきたのだからたまらない。もっとも、米軍は、100年前のナポレオン戦争当時の戦術、つまり、密集隊形による正面攻撃に固執した。50年前に彼らが行った南北戦争でもそうだったのだ。すでに4年間の、悲惨な塹壕線を経験していた英仏・独軍からみれば、狂気の沙汰、と言えるような戦術だった。結果、とてつもない犠牲者を出すことになった。(このことが、後に、懲りた米国民をして、第二次大戦に参戦しないという世論を形成させていくことになる。ルーズベルトが大統領になれたのも、欧州大戦には不介入という公約があったためだ。これを破って、彼は第二次大戦に参戦していったが。)

▼墺洪二重帝国(以下、二重帝国とする)も、ひどい有様になっていた。大戦序盤、あろうことかセルビア軍に敗退するというとんでもない失態を演じていたのだ。二重帝国は、多重民族国家であったため、軍内部でも統一言語がなく、近代化にそもそも遅れていた。ドイツの支援がなければ、到底戦争継続も不可能な状況だった。名門ハプスブルグ家の軍事力というものは、無力に近いということが露呈してしまったのだ。

▼ロシアが戦線から離脱したことで、連合国はドイツが全力で西部戦線に再び仕掛けてくると容易に想像できた。このため、二重帝国をドイツから引き離す工作を試みている。連合国は、二重帝国との単独講和を持ち掛けたのだ。ところがこれがドイツに露呈して頓挫した。二重帝国とドイツとの関係は、一気に冷却した。

▼すると、二重帝国のほうが連合国に歩み寄って、単独講和を試みた。ところがこれは、今度はフランスが暴露して頓挫した。これではあまりにも損耗の激しいこの無意味な戦争を終結させたいのか、それとも継続させたいのか、まったくわからないような疑心暗鬼が、双方の間に生まれることとなった。

▼しかし、もはや二重帝国は、戦争継続能力を失っており、帝国内の諸民族が勝手に独立を宣言し始めてしまい、帝国そのものが事実上、解体してしまったのだ。とうとう最後には、ハプスブルグ家自体が、「国事不介入」という声明を発し、無責任にも政権を投げ出してしまう始末だ。

▼残ったのは、ドイツである。米軍の参戦を得た連合国はいっせいに反攻に転じ、1918年8月の大攻勢では、ついに全戦線で突破することに成功。ドイツ国内では、すでに4年にわたる国家総動員的な戦時体制で、国内経済は破綻に瀕していた。ドイツの敗色は一気に深まった。

▼しかもロシア革命の影響もあって、国内に社会主義的なセクトが、各地で勃興し、革命機運が高まってきていた。政府と軍は、乾坤一擲の決戦に打って出るという無謀な賭けに出ようとした。それが命取りだった。

▼要するに敗北が決定的になってきたため、「できるだけ講和交渉を有利に持ち込むために、英国海軍に最後の出血を強いるべし」、ということで、自滅必至の艦隊出動を命じたのである。(戦艦大和の自滅的艦隊特攻に似ている。)ウィルヘルムハーフェン港のドイツ残存艦隊が、単縦陣で出港すれば、港外に待ち構えている横隊の英国艦隊の十字砲火で、蜂の巣になることは火を見るより明らかだった。

▼この必敗壊滅が確実な作戦命令に対し「冗談ではない」と激昂したのが水兵たちで、1000人が蜂起。これがきっかけとなって、全土で革命状態が勃発するという事態に至った。1918年11月10日、ドイツ皇帝は退位して、オランダに亡命。帝政は崩壊し、ドイツ軍首脳部は終戦交渉のテーブルにつくことになる。11日にドイツは休戦協定に調印する。

▼開戦の経緯にしろ、終戦の経緯にしろ、もっとずっと複雑な予想外の展開があったのだが、ざっくりと流れを示すとこういうことになる。

▼ドイツの軍人には、ルーデンドルフ参謀総長がいまいましげに吐いて捨てたように、「われわれは匕首で後ろから刺されたのだ。」という意識が強く残った。つまり、革命運動さえ起こらなければ、そして国家総動員をさらに徹底していれば、けして負けはしなかった、という意識だ。この、「気がついたら、負けたということになっていた」という、不透明な戦争終結の経緯こそが、後の第二次大戦への導火線にほかならない。

▼戦争というものは、第二次大戦のドイツのように、確信犯的に開始される場合もあれば、日本のように追い詰められたと思って開始する場合もある。どちらにしても、原因や動機ははっきりしている。しかし、第一次大戦のように、せいぜい小競り合い程度の局地戦までで、とても総力戦を行うような意図なく、誰も望んでもいないにもかかわらず、「気がついたら、えらいことになっていた」ということが、有るということだ。決定的な原因や動機というものが、無いのである。

▼その意味では、それが明確な第二次大戦よりも、意味不明の火蓋を切った第一次大戦のほうが、われわれにとってはむしろ、問題性が深刻である。ウクライナ情勢にしても、一方的にロシアが悪いようなイメージがあるが、実は最初のきっかけ、つまりウクライナ暫定政権樹立のきっかけであった、親ロシア政府に対する、大規模デモで死者が出た事件にしろ、実は自作自演説も取りざたされている。

▼最初の悲劇を生んだのは、ロシアに逃亡した前政権の大統領ではなく、デモを起こした側、つまり現在の暫定政権側が意図的に工作した結果だという見方が強まっているのだ。なにしろ、暫定政権のトップは、プーチン・ロシア大統領と同じく、秘密警察長官の出身だ。なにがあってもおかしくはない。

▼その裏に、米国などの保守派が絡んでいたとしたら、謀略のそしりを免れないだろう。予想外の展開があったとすれば、ロシアの南下しようとする遺伝子に火をつけてしまったという誤算だろうか。

▼よもや、ロシアがかくまで露骨にでてくるとは、作為した側も想像していなかったろう。ウクライナ暫定政権が考えることは、わたしにすら容易に想像できる。こうなったら、ロシア軍が一刻も早く、ウクライナとの国境線を越えて侵攻してきてくれることを望んでいても一向に不思議ではない。

▼さすがにそうなれば、及び腰の欧米西側諸国も、重い腰を上げるだろう、そんなふうにウクライナ暫定政権が思っているとしたら、これは誰も望まなかったことが、それも局地紛争で済む話が、とんでもない深刻さに陥りかねないリスクを孕んでいることになる。

▼今週、プーチン大統領は、上海入りして、中露の蜜月を演出してみせた。しかも、あろうことかこれにイラン代表まで参加している。中露イランの枢軸が形成されたことになる。まさにユーラシア大陸のハートランドが結束したわけだ。

▼さて、日本や欧米はどうする。ただ、手をこまねいているのか。それとも、強硬策に打ってでるのか。あるいは、ハートランドの新枢軸国の、分断を図るのか。

▼アジアでも、ベトナムが燃えている。政府は、反中国デモをとうとう抑えにかかったが、いつの世も、世論の一方的な傾斜に政府が引きずられるという醜態を演じることが、戦争への道行きとなったケースがあまりにも多い。ベトナム政府に、これを制御できる能力があると信じていいだろうか。

▼誰もけして望まず、とても予想もしなかった事態は、いつもわれわれのすぐ後ろに息を潜めているのだ。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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