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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第302回・入梅

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【閑話休題】第302回・入梅

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-05-26 15:13:00]

【閑話休題】第302回・入梅

▼一足はやいうんちくだが、例年入梅(つゆいり)は、太陽が黄経80度の点を通過する日。例年6月11日頃とされている。一番最初に梅雨入りするのは沖縄だ。反対に北海道には、梅雨はない。小笠原にも無いそうだ。

▼一年のうちで、もっとも憂鬱な印象の時節だ。気象環境のまったく違う欧米などから、ジューン・ブライド( 6月の花嫁)といった妙な習慣が入り込んできて、結婚シーズンとしてたけなわといったブームもあったが、今はどうなのだろうか。相変わらずだろうか。

▼そもそもなにゆえ「梅」なのか、意味不明だ。調べてみたが、どうもわからない。もともと梅雨という言葉は、漢語であるから、中国に起源があるはずだが、中国は揚子江 流域で、梅の実が熟す時期に雨期があり、梅雨と言い習わしたのが日本に入ったというのが、一応の定説になっている。それを「つゆ」を読むようになったのは、江戸時代からだそうだ。

▼雨には、じとじと降るものと、ざーっときてさっと終わっていくものがあるが、あのじとじと長雨になるのは、いただけない。そこで登場するのが、「てるてる坊主」だ。これも中国がどうも起源のようだ。

▼昔、北京に一人の美しい娘がいた。名を晴娘(チンニャン)といい、利口なうえ手先が器用。おまけに切り紙が得意であった。彼女の切り紙の評判は世間に知れ渡り、皇宮の后妃や公主達も人を遣わしてその切り紙を買い求めるほどであった。

▼ある年の六月のこと、北京を大雨が見舞った。(珍しい)雨はいつまでも降り続き、一向にやむ気配を見せない。北京では城内の水が三尺もあふれ、人々は香を焚いて頭を地に打ちつけ、「どうか雨がやむように」と祈願した。しかし、何の効き目もなかった。

▼そこで、夜遅く、晴娘は屋根の上で天に向かって祈願した。すると突然、大音声が響いた。

「晴娘よ、東海龍王が汝を太子の妃にとご所望じゃ。もしも、従わなければ、北京を水没させようぞ」

▼晴娘は北京の人々を救うために声張り上げて答えた。

「命に従って天に上ります。どうか雨を止めてください」

▼その途端、一陣の大風が吹きつけ、晴娘の姿は消えた。その後、雨は上がり、空は久しぶりに晴れたのである。それ以来、人々は晴娘をしのんで、六月に雨が降り続くと娘達に命じて人の切り紙を作らせて、門に掛けるようになった。これを、『掛掃晴娘(グアサオチンニャン)』という。「てるてる坊主」の起源とされている話だ。これは、いわゆる「祈雨法」という祈祷と、人身御供と、二つの要素が含まれていて、なにやらおぞましい感じがする。もともとは、供養の一種だった可能性もある。

▼実はこれには、異説あり、「掃晴娘(サオチンニャン)」が由来だという話もある。掃晴娘は天(空)の雨雲を掃いて掃除し、晴れにする神さまといったところだろうか。

▼中国最後の士大夫と言われる作家の汪曾?1920-1997が、『私の家』(我的家)という文章の中にこんなことを書いている。

『雨は相変わらず降り続いている。
従姉は紙を切ってつくった人形を壁に貼り付けた。人形は片手に箕(みの)を、もう片手には箒(ほうき)を持っている。
風が吹くと、揺ら揺らと揺れる。
これが掃晴娘だ。
ほんとうに不思議なことに、掃晴娘は一日空を掃き
二日目には少しだったが晴れになった。』

▼日本では、この「てるてる坊主」が、やはり江戸中期既に飾られていたようである。この頃は現在と異なり折り紙のように折って作られるもので、より人間に近い形をしており、その形代を半分に切ったり、逆さに吊るして祈願した。これも中国起源なのかは定かではない。「嬉遊笑覧」という本には、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すと記されている。いわゆる「ひな祭り」に近い、願掛け(呪い)の一種ということも言えそうだ。

▼いきなり、「呪い」などという言葉が飛び出したが、「呪(しゅ)」というのは、そもそも「願掛け」のことを呼んだので、現在のような狭い意味(呪う)とはいささか異なる。

▼中山晋平作詞の「てるてる坊主」は、これとどこかで通じているのか知らないが、三番が非常に怖い。

( 1)
てるてる坊主 てる坊主
明日 天気にしておくれ
いつかの夢の 空の様に
晴れたら 金の鈴 あげよ

( 2)
てるてる坊主 てる坊主
明日 天気にしておくれ
私の願いを 聞いたなら
甘いお酒も たんと飲ましょ

この二番は、中国にも似たような童謡がある。中国の古老から教えてもらったのは、こんな歌詞である(中国には珍しく、どうも読み人知らずのもののようだ)。

老天爺 別下雨 蒸了饅頭 往上挙
老天爺 別刮風 蒸了饅頭 往上×(手偏に乃の旁)

おてんとうさま、雨を降らせないでね お饅頭を蒸したら、あげるから
おてんとうさま、風を吹かせないでね お饅頭を蒸したら、あげるから

老天爺であるから、先ほどの掃晴娘が女神という認識とは、ちょっと違うが、似たようなものでバリエーション(変化形)はいろいろあったのかもしれない。

▼この二番までは、どちらかというと歌詞がまだやさしい感じなので、日本的なイメージが強い。ただ酒というところは、いかにも日本的で、神を意識している。中国のほうは、饅頭だから、より現実的な文化性がよくでている。

▼ところが、問題は三番だ。中山の詞はほとんどホラーといってもいい。

( 3)
てるてる坊主 てる坊主
明日 天気にしておくれ
それでも曇って 泣いてたら
そなたの首を チョンと切るぞ

ほんとうに童謡なのかと、かえすがえすもびっくりだ。怖すぎる。「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス」的だ。むしろこの三番は、一見、日本的というより、中国的な感じすらする。

▼しかし、よく考えると、日本の宗教観には、意外にそうした「神を打擲(ちょうちゃく、打ったり叩いたり)」する部分があるかかもしれない。

▼とくに禅宗などでは、祈祷しても効果がないと、祈願尊仏を縄で縛り上げて吊るし、鞭打って「ちゃんと仕事をせんかっ」と怒鳴りまくって、祈願を成就させるという「名僧(迷僧)」が結構多く輩出しているのだ。神様も、うかうかふんぞり返っているわけにはいかず、忙しそうだ。

▼ちなみに、激しくザーッと降ったあとに急にすっきり晴れたときほど、空気中のマイナスイオンが多いそうだ。これからの梅雨の季節、晴れ間にはすかさず散歩をしよう。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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