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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第303回・大改造

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【閑話休題】第303回・大改造

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-05-27 15:33:00]

【閑話休題】第303回・大改造

▼おぞましい話だが、19世期初頭までのロンドンもパリも、それぞれのフラットでは自家製肥溜め(こえだめ)だった。糞尿が溜まると、それを窓から平気で表に投げ落とし、捨ていたそうだ。たまたま下を歩いていた人間こそ悲劇だ。糞尿ばかりではない、日常の生ゴミもいっしょに投げ捨てていたのだ。

▼だから、いつも悪臭の漂う大都会であり、それがとくに香水の発達と普及に輪をかけたらしい。もちろん、水道設備がほとんど無かったから、風呂の習慣も浸透していなかった。体臭もそれだけひどかったことも、これを促進したであろうことは、想像に難くない。

▼こうした大都市の衛生状態が良いはずがない。こうした中、19世期中ごろ、ナポレオン三世の治世下、パリでは、「大改造」が行われた。セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンが中心となった空前のパリのスクラップ・アンド・ビルド(破壊と再建)だ。

▼これが後に、世界的な現代都市計画のモデルとなっていった。都市整備により経済を活性化するとともに、当時、しばしば騒乱のもととなっていたスラムを排除するものでもあった。産業革命後の経済界の要請にも沿うもので、「パリ大改造」は近代都市計画・建築活動に大きな影響を与えた。

▼手法は、土地収用(公共事業に必要な土地を、補償を行ったうえで強制的に公有化すること)によるもので、「パリ大改造」では道路に加え、その沿道の土地も収用できる規定を適用した。そして街路や区画を整備した後、資産価値の上がった沿道の土地を売却し、事業資金に充てた。これによって開発利益を還元することとなった。

▼パリに行ったこともないので、Wikipediaあたりから、その概要を抜書きすると、エトワール凱旋門から放射状に並木が配されたブルヴァールと呼ばれる広い12本の大通りを作り、中世以来の複雑な路地を整理したということになっている。オスマンの計画によって破壊されたパリの路地裏面積は実に7分の3に上ったという。

▼交通網を整えたことで、パリ市内の物流機能が大幅に改善された。また、暴徒や反乱勢力を助けた複雑な路地がなくなったため、反乱が起こりにくくなった。ノートルダム大聖堂などがあるセーヌ川の中州に位置するシテ島は、19世紀当時においては貧民層が集まっていたが、「大改造」後は一変。パリでも最も清潔な一角になっていった。

▼また、上下水道を施設し学校や病院などの公共施設などの拡充を図り、衛生面での大幅な改善がみられ、当時流行していたコレラの発生をかなりの程度抑えることになった。

▼大変有名なのは、市街地がシンメトリー(左右対称)で統一的な都市景観になるよう、様々な手法を取ったことだろう。例えば、道路幅員に応じて街路に面する建造物の高さを定め、軒高が連続するようにしたほか、屋根の形態や外壁の石材についても指定した。大通りに並ぶ街灯の数も増やされ、治安面での改善も大きくすすんだ。

▼しかし、世の中いいことばかりではない。この「大改造」によって失われたものもたくさんある。まず、美しくなった一方で、あまりにも画一的な都市景観となってしまったということだろう。確かに、それを美しいと思うか、画一的で面白みに欠けると思うかは人によるかもしれない。

▼また、スラムが一掃されたことの副産物として、いわゆる下町の自治共同体は、完全に破壊されてしまった。現在の東京と同じく、隣の住人の顔も知らないという町になってしまったのだ。

▼この多くのコミュニティが破壊されたことは、文化的にはかなりのマイナスであることは、時が経てば経つほど効いてくる。小説などを読んでも、バルザック、デュマ、ユゴーといった作家たちの話の内容が、現在のパリの人間でもわからないという。

▼こうした都市計画は、明治以降、日本でもたびたび行われたが(とくに東京)、最大の改造は、1923年大正12年、関東大震災をきっかけにしたものだ。当時第二次山本内閣の内務大臣後藤新平が行った「帝都復興計画」だった。基本的には、東京という都市の基本的な骨格は、今にいたるまでこの後藤の大改造以来、変わっていない。

▼さて、その東京が、二度目の大改造のチャンスがあったのが、ご存知のように戦争末期の大空襲である。焦土と化した東京は、さらに進化できるチャンスだったが、なにしろ敗戦による国家破綻の下、まともな都市計画など実施できるはずもなかった。

▼この結果、東京オリンピック招致が決定してから、やっつけ仕事の突貫工事で、とにかく「間に合わせた」にすぎない。いわば、「接木(つぎき)」状態の東京だ。

▼今、二度目のオリンピック招致が決まって、東京はあの時棚上げした根本的な都市改造計画を実施できるチャンスが来ているはずなのだが、どうも安倍政権やらなければいけないことが多すぎるのか、19世期のパリを揺るがした「大改造」などの兆しは、微塵も見られない。

▼正直、ナポレオン三世以降のフランスなど、欧州では退勢著しい国家に成り下がっていったのだ。それが、未だに欧州の中心でいられる、その大きな要因の一つは、パリがなんといっても美しいからにほかならない。

▼パリのようなシンメトリーがなんでも美しいとは言わないが、では伝統的な日本の自然美を、この大東京で再現するような画期的な発想があるかと言われれば、それもなさそうだ。

▼少なくとも、天下の日本橋が、醜い首都高速の下に埋もれているのを放置しているようでは、とてもではないが、東京の大改造などおぼつかない。

▼タクシーの運転手に聞いたことがある。首都高速の橋ゲタの補強があちこちでなされているが、その工事関係者の話では、橋ゲタの中身の多くががらんどうであったり(時間が無かったので、ほとんどが手抜き工事だという)、とてもではないが、大地震に耐えられるようなものではなく、なおかつ今行われている補強も、「やっています」といったポーズ以外の何ものでもない代物なのだそうだ。とても補強などと言えたものではない、と言っていたらしい。

▼いずれ直下型の大地震が関東を襲うことは100%確実であるにもかかわらず、そこを問題の基点とした抜本的な東京大改造の議論が、どうも聞こえてこないのは、面妖な国である。それとも、大震災によって、スクラップ・アンド・ビルドの、スクラップを自然に委ねようという魂胆なのかとさえ、うがった見方をしてしまう昨今である。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


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