忍者ブログ

増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第308回・そら豆の思い出

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

【閑話休題】第308回・そら豆の思い出

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-06-03 15:19:00]

【閑話休題】第308回・そら豆の思い出

▼もう6月か、と思うか。それとも、まだ6月か、ととらえるかは、人によってだが、例によっていきなり夏のように暑くなってきた。エルニーニョはどこへいった?と騒いでも、なんだか今年もえらく暑くなりそうで、今からげんなりである。

▼6月というと、湯河原の万葉公園では毎年蛍が飛ぶことで有名だ。これは、幼虫まで万葉公園内の「ほたる小屋」で飼育され、3月中旬ごろ湯河原小学校4年生の手によって放流され、その後自然発生する蛍が飛ぶのだ。

▼もちろん湯河原は、藤木川、千歳川、新崎川沿いにも、天然の蛍が数多く生息し、湯河原町全体で蛍を楽しむことができる。

▼蛍以外にも、夏に先立って四季を感じさせるものがある。5月中旬から6月中旬というのは、個人的に一番楽しみにしているのは、「そらまめ」を食すことだ。

▼もちろん、もっとも単純な食べ方は、塩で湯がくに限る。これはどういうわけか、人によって食べ方が違っていて、そら豆を湯がいて(硬めが良い)、皮をむいて食べる人。皮ごと食べる人。いろいろある。わたしは子供の頃から皮ごと食べる。どうも、周囲に聞いてみると、皮をむいて食べるのが、普通らしい。やはりわたしは少数派か。あの皮の苦味がたまらなく好きなのだが。あと、やわらかくなった、湯がきすきもいただけない。身は硬めのほうが圧倒的に美味い。

▼このそら豆、古代ギリシャ、ローマいずれでも、葬儀用として食事に供されたようだ。理由は定かではない。もともと西南アジアが原産地と推測されているので、日本には8世期ごろ渡来したようだ。ちなみに、中国の河北省張家口で、世界的にも最高級品が栽培されているという。どう最高なのか、寡聞にして知らないのだが。

▼そもそも、なにゆえそら豆というのだろうか。豆果(さや)が、空に向かってつくために「空豆」と言うのだという説。または蚕を飼う初夏に食べ、サヤの形が蚕に似ていることから、「蚕豆」という字が当てられた、という説。

▼しかし、このそら豆の食べ方で、どうしてもこの季節に食べる料理法というのがある。誰でもできるものなので、どうだろうか。

▼かつて、80年代に、仕事で香港から雲南省昆明に出張した。そこから、ジープで延々と12時間近く山奥に入り、ダム現場まで行ったのだ。

▼昆明では、前の晩に、腹が減ったので屋台に繰り出した。そこで出くわしたのが、この料理法だ。中華鍋で、鶏肉とそら豆をいっしょに炒め、胡椒と塩、そして鷹の爪で味を調えるだけだ。これが実に美味い。炒めた油ごと、どんぶり飯にぶっかけて食するのだ。

▼もちろん、そら豆はこの場合皮をむいてある。そして、若干湯がくという下ごしらえをしてある。まだまだ堅くて食べるには、というくらいでちょうどいい。そこから肉といっしょに炒めるのだから。豚というのもあるらしいが、なんといっても昆明で食したオリジナル通り、鶏肉のほうがうまい。

▼とにかく、屋台街に足を踏み入れた途端にこのそら豆と鶏肉、鷹の爪の香ばしい匂いが、ばんばん襲いかかってきたものだ。

▼不思議なことに、誰でもつくれるような簡単な料理なのだが、どういうわけだか、この料理、北京や上海など、ほかの地域でほとんど見ることがなかった。皆無といってもいい。たまたま見かけなかっただけのことだろうか。やはり、そら豆という季節性があるためなのだろうか。時期をはずせば、それは無理だろう。

▼現地の人からしたら、当たり前にどこにでもある料理でしかないのかもしれない。わたしのように、「昆明で食した・・・は美味かった」などと言っていると、「やっぱり秋刀魚は目黒に限る」といった落語のように、中国人に笑われてしまうかもしれない。しかし、当時食糧事情が極端に悪かった時代。何年も中国にいて、それこそ最高に美味いものを食ったという数少ない、わたしにとっては貴重な思い出なのだ。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


日刊チャート新聞のコンテンツは増田足のパソコン用ソフト、モバイル用アプリから閲覧可能です。

15日間無料お試しはこちらから
https://secure.masudaasi.com/landing/pre.html?mode=cs
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。