忍者ブログ

増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第325回・百回の嘘と、一万回の真実(後編)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

【閑話休題】第325回・百回の嘘と、一万回の真実(後編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2014-09-08 18:27:00]

【閑話休題】第325回・百回の嘘と、一万回の真実(後編)

▼中国の誇張・虚偽によるプロパガンダは、戦後になっても続くが、袁世凱のこの頃からすでに、始まっていたのだ。中国や韓国は、常に反日・侮日の運動をたきつけることで、国内の不満の目を外国に、特に日本に向けさせている。日本は「事を荒立てない」ように腐心し、ますます立場はまずくなっていく。これは現在もまったく変わっていない。

▼たとえば、中国旅行をした人は見たことがあるかもしれない、「万人坑」というのがある。日本軍に虐殺されたとされる白骨の山を、ご丁寧にも体育館のように上屋やドームで覆い、保存して日本軍国主義の爪痕を露骨にアピールしているものだ。あちこちの都市にある。

▼実はこの万人抗、日本軍の虐殺でもなんでもない。中国人の「のたれ死に」、無縁仏の共同墓地にほかならない。革命前、貧民街から出た死者(主に麻薬中毒)の共同墓地が、その実態である。

▼最近、慰安婦問題で、長年いかに朝日新聞がひどい捏造有害報道をしたか、あからさまになってきたが、朝日は謝罪せず、顰蹙(ひんしゅく)を買っている。顰蹙なら良いが、はっきりいって売国行為にほかならない。 この万人抗も、朝日が行った捏造有害報道の一端だ。正直、この新聞が三大新聞などと言っているのが恥ずかしい。日本国民は、はっきりと不買運動をすべきだろう。

▼中国の旧満州には、多くの人骨が折り重なるように埋まっている場所がいくつもあり、場所によっては一万体以上埋まっている所もある。中国ではそれを万人坑と呼んでいる。

▼さて、これがどのように作られたのか、克明に記録した文献がある。満州国警務総局保安局が1940年ごろ、ハルピン市の貧民街における住民の生活実態を調査した。その調査結果は極秘とされ、少部数印刷されて満州国警察の部内資料となった。これが原書房から「魔窟・大観園の解剖」(満州国警務総局保安局、原書房、1982年)と題されて復刻出版された。1982年版には著者の名前がなかったが、2002年版では、元拓殖大学教授佐藤慎一郎となっている。

▼これは、面白おかしく書いて売り物にしたのではなく、日本の情報機関がみずから貧民街に入って情報収集し、部内資料としたものであるから、その内容はきわめて信用度が高い。

▼著者は、警察官であったが、貧民街の実態を調査するにさいして、身分をかくす必要はなかった。貧民街の住人と親しくなった著者は、長期宿泊者の名前や身の上などをはじめとして、木賃宿や宿泊人の実態、売春婦・乞食・モルヒネ密売業者の実態、賭博・阿片・モルヒネの横行ぶり、盗品と盗品処理方法、さらに、宿泊人の末路まで、詳細に記録した。当時の貧民街の実態を記録した一次資料である。

▼ハルピン市の貧民街に大観園という劇場が建てられたが、経営が思わしくなく、内部を改造し、小さく区切って借家にした。そのため、大観園の中に木賃宿や商店ができ、その中で千人以上が宿泊できた。貧民街では麻薬がはびこり、大観園の中にも2軒のモルヒネ密売屋があった。住人のわずかばかりの収入は食費、宿賃以外に麻薬代に消えることになる。こうして麻薬に犯された肉体は早く衰弱していくから、貧民街からは死人がどんどん出た。

▼死ぬと、周囲の住民から衣服をはぎとられ、素裸で路上に捨てられた。そのような死体が道にころがっていても誰も気にもとめなかった。こうして、貧民街からは、身よりのない死骸がどんどん出たのである。著者がハルピン駅から貧民街まで友人と歩いた時のようすは次のようであった。

▼「大観園の裏通り長春三道街には朝の太陽が燦々と降りそそいでいる。私達は此処まで来るうちに既に九個の素裸にされた死体を見て来ているのだ。そして今更に又私達の眼前に三つの死体が転がっている。勿論街路の中央にである。骨張った顔面の骨が砕けて頬から後頭にかけてどす黒い血が乾き附いている。敲き殺された死体である。その向こうに脛の皮が赤く擦剥けて見えるのは、山盛りに積み上げられた塵芥に首を突込んでいる死体だ。こうした塵芥と死体の転がる大道の間隙を埋めて盛り上がるような人を集めているのは屋台店である。」

▼ハルピン市だけでも、年間の行路死亡者数は次のとおりである。
・・・・・・・・・・・・
行路死亡者その他の死体数に関しては、警務庁では年三千名前後と見、ハルピン市公署年鑑によると毎年大体二千四、五百となっている。(「魔窟・大観園の解剖」281ページ)。


▼このように貧民街では、麻薬で命を縮めた死人が多く出て、それがどんどん道に捨てられた。それを市当局が集めた。衛生夫は丁度魚屋が魚を勘定する時に用いるような大きな鈎を持っていて、死骸の首に引懸けて大きな乾鱈でも引ずるようにして自動車に積み上げる。ほとんどの死体が赤裸で、衣服はみな盗まれている。時たま衣を着けたままの死骸にぶつかると、衛生夫たちは我が意を得たりと悦ぶのである。死骸の衣服は勿論彼等の役得だからだ。衣服をまとったままの死骸は著者の直接算えた所によれば、80余の死骸中6体しかなかった。

▼市公署ではかくして集められた死体の足首に、番号の入った小さいブリキ製の札を結びつけて、俗称『万人坑』(万人も入る大きな穴と云う意味で、市では予め大きな穴を掘っておいてそれに死体を抛りこむのでこう呼んでいた)。正確には『南崗大有坊市立貧民義地』の大穴に文字通り抛り込むのである。義地とは共同墓地のことだ。

▼大観園附近で集められた死体は行路死亡者として、此処の萬人坑に抛りこまれるのだが、その穴の大きさは縦7m・横2m・深さ2mの大きさを持っており、一個の穴で80体から100体位を収容出来るのであるが、夏季は腐爛して悪臭を放つため、穴に抛り込んで土を薄く被せて置くが、冬季は穴一杯になるのを待って土を被せる。

▼この万人坑に埋めた死体の数は、番人小屋の記録表によると、3月には111体、4月には17日までで87体となっている。この年は、文章の前後の関係で1940年と思われる。

▼ハルピン市が1936年5月につくった公墓一覧表がある。それによれば、29カ所の墓地があり、そのうち廃棄された義地(共同墓地)は5カ所ある。ハルピン市の管理墓地は5カ所で、その内、4カ所は使用料が無料である。その一つ「圏河義地」は1917年創設で1936年現在、埋葬数は1万以上で満了となっている。

▼同じく無料の「貧民義地」は1925年創設されて10年経過し、もはや埋葬可能数は数十しかなく、まもなく満杯となると書かれている。著者がたずねた無料共同墓地「南崗大有坊市立貧民義地」は1936年に創設された。この共同墓地は、記録表によれば、3月は111体埋めたとされているが、かりに一ヶ月に100体が埋葬されたとしても、10年なら1万2千体になるのである。

▼こうして、万人坑が、各地でつぎつぎとつくられていった。満州など北部に多かったが(おそらく、寒冷気候で冬を越えられない者が相対的に多かったためだろう)、なにも満州に限らない。これで分かるように、万人坑とは貧民街からでた行路死亡者(主に麻薬中毒者)を埋葬した共同墓地で、多い所では1万人以上も埋葬されているのである。

▼このような万人抗は、日本の傀儡国家・満州でさえこうであった。ましてや、無法地帯さながらの当時の中国においては、言わずもがなである。これを朝日新聞は「日本軍の虐殺」だとしたのである。中国でも、ずっとそのように認定され、各地で日本軍の蛮行の跡として「記念」し、保存されているのだ。しかも、民主党・鳩山元首相は、これを訪問して、日本軍国主義の蛮行を謝罪するという、驚くべき売国行為をおこなっているのだ。きちんとデータをベースに検証もせず、自国の価値を毀損するような行為は、売国と公言して構わない。思想の違いなどではない。国家的犯罪に等しい。それは、朝日新聞も同罪である。

▼日本人や日本軍の非道はあったろう。何も無かったなどと言うつもりはない。しかし、どれが本当にあったことで、その背景や事情はどうだったのか。そして、なにが嘘で、冤罪なのか。はっきりさせようと言っているのだ。そういうまともで公正な事実認定(裏をきちんと取る)こともしないで、十把ひとからげに、「侵略」の一言で片付けようとする、不勉強さ、歴史と民族(自他とも)への不誠実さだけは、絶対に看過できない。韓国政府や中国政府がやらないなら、国民が自分でやらずにどうするのだ。

▼こうした「万人坑」のような、あからさまな嘘というものは、徹底的に暴露し、糾弾し続ける必要があるのだが、どうも日本人、そして日本のメディアというのは、「大人の対応」をしすぎる。その紳士的な態度は、自らを滅ぼす。要は「事を荒立てる」、それが外交というものだ。黙っていることは、日本という国家、日本という歴史、そして日本人に対する冒涜である。そして将来の日本の価値も毀損する。そして、そういった嘘を黙認することは、隣国の友をいやがおうにも増上慢にさせ、彼らの民度や文化性をも腐らせる。二重の罪だ。

▼事実やデータがすべてだ。わかっている事実で、話をしよう。憶測や先入観、ただの伝聞で、相手を決めつけないようにしよう。歴史を、政争の具にしないように心がけよう。それは、どこの民族であれ、自身を切る刃となって跳ね返ってくるのだ。

▼その愚かな、相克の連鎖を断ち切るには、歴史の「事実」がどうだったのか、という民族意識を超えた真摯な科学的アプローチ以外にない。つまり、データの確認である。公平の秤(はかり)は、データによって確認された事実の上でのみ機能する。

▼これを読んだら、中国・韓国の偏向的な思想を持った人たちは、わたしを「極右」だと言うだろう。「侵略主義・軍国主義」と呼ぶかもしれない。「ファシスト」とさえ言うだろうか。しかし、そうした「事実を無視して、他人にレッテルを貼る」ようなことは、もうやめたほうがいい。自分の価値を毀損していることに、いい加減気づくときだろう。わたしのことはどうでもよい。自分で、事実やデータを、常識を以ってきちんと確認するべきだ。

▼また、もしわたしが「嫌中・嫌韓論者」だと思うのなら、それはわたしを知らないからだ。怒涛の70年代。左翼運動が燃え盛り、左右の激突が最終局面のクライマックスを迎えていたとき。学生だったその「右翼」のわたしが、韓国語や中国語、ロシア語をこつこつと一生懸命勉強していたのだ。およそこの三ヶ国語は、当時日本の学生で(左翼ですら)、まともに勉強するような人は限られていた。友人たちからも、なんでそんなのやってるんだ、と一様に不思議がられたものだ。

▼はっきり書いておく。わたしは中国人・韓国人から、「右翼」だとか、「ファシスト」だとか呼ばれるのが、不愉快どころか憤怒すら覚える。そういう短絡的な発想の人間が、彼ら自身の国の進歩を妨げるのだ。中国や韓国が、それによって思考の硬直性に陥り、一向に文化的な進歩が見られなくなることが、悔しくて仕方が無いのだ。君たちが思っているよりずっと残念でならないのだ。

▼わたしは生まれてこの方、一度たりとも、異民族への嫌悪感を抱いたことがない。二番目の妻はその「異民族」だ。(もっとも、今の家内は三番目。これは、わたしの不徳のいたすところ。)

▼確か在日居留民の場合には、話は複雑だろう。日本人の中にも、ろくでもない者はいくらでもいるからだ。それによって、苦渋を嘗めたことも多々あろう。そんな日本人はしかし、少数派なのだということを、忘れないでほしい。民族の品格を失った日本人など、ハナから相手にする必要はない。君たちの国にも、どこの国にも、そういう人はいるものだ。やがて彼らは、「良識」によって淘汰される。

▼逆に、「定説」などに疑問を持っている中国人や韓国人が、ネットでがんがんレスを立てているのも、近年は非常に多く見られる。わたしより、はるかに冷静な事実分析や認識をしている意見も、最近ではふつうに観られるようになった。それは、ネットという匿名性が生み出した奇蹟だろう。

「日本人のことなんか言えないよ。俺たちの国は、自分の国民を、日本軍よりはるかに多く殺したじゃないか。」

これなどは、わたしの言葉ではない。中国のネットに飛び出した中国人の若者のレスだ。もっとも、これすら、日本人の「なりすまし」だと言われたら、それまでだが。

▼あの70年代、とても国際的には、どこからも相手にもされなかった中国や韓国が、いつかきっと世界経済に躍り出てくる、とわたしはそう信じていた。韓国の「漢江の奇蹟(当時は、朴正煕大統領の第三次五カ年計画の頃だ。)」は必ず成功すると信じた。文化大革命の嵐が吹きまくっている中、いつか中国が、文字通り大国として復活してくることを信じた。こんな、悲惨な内乱はいつまでも続かないと信じた。だからこそ、あの当時、まったく日本では不人気でも、その日がいつやってくるか、自分はわからなかったけれども、こつこつと隣国の言葉を熱を持って学んだのだ。

▼繰り返す。わたしは、事実だけをはっきりさせたいと思って書いている。先入観や、伝聞や、想像を書く場合は、はっきり区分して書いている。わからないこと、はっきりしないことは、可能性としてとどめている。疑わしいものを疑わしいと、述べている。耳障りの良いことも、耳に痛いことも、確定している事実と、そうでないものははっきり区別すべきだ。わたしでも、完全には出来ていないかもしれない。しかし、そうあろうと心がけている。隣国の君たちにはそれができていない。

閑話休題第171-172回 日本と日本人に対する世界の声
閑話休題第172-174回 日本は朝鮮半島で何をしてきたのか
閑話休題第181-182回 南京のまぼろし
閑話休題第184-185回 ウリナリズム
閑話休題第191-193回 定説を疑え(失敗の本質)
閑話休題第200-213回 ヴェノナ文書(なかったことにしたい真実)

以上、明治以降の歴史に関するものをこれまで書きつらねてきたが、一つとして、「決めつけ」をしていない。わかっている事実だけを紹介している。
反論は良い。違う事実も、もしかしたら今後はっきりしてくるかもしれないからだ。
しかし、偏見と先入観と、調べもしないで想像だけで話をするな、と言っているのだ。
そんなものは、右翼だろうと左翼だろうと、論外、問題外なのだ。

▼隣国の人たちの言葉から、日本人に対するレッテルが消えたとき、その暁には、今のような、お互いのくだらない罵り合いではなく、真に冷静で客観的な関係が築かれると信じる。それが出来ない以上は、隣国の君たちは、永遠に「大日本帝国」の亡霊から抜け出すことはできまい。

▼わたしの、母方の祖父というのは、満州で鉄道建設の下請け土建業をやっていたが、外地から、日本では手に入らないものをしょっちゅう送ってきたそうだ。その宛名書きには、いつも「日本国・・・(以下住所)」となっていたという。祖母は「どうしてお父さんは、よそさまと同じように大日本帝国って書かないのかしらねえ。」と子供たちに言ったらしい。

▼生粋の明治男であった祖父である。「大日本帝国」などと肩肘を張らずとも、日本を幕末から一気に押し上げた自負があったのだろう。今にして思えば、彼がさらりと「日本国」と書いた宛名書きには、そうした、周囲に居丈高とならずとも、内に秘めた静かな、しかし確固たる誇りが感じられようというものだ。本当のナショナリズムとは、そうしたものだ。

▼日本が、「大日本帝国」が葬式をしたことで、失ったものが大きい。しかし、その後得たものは、失ったものよりもっと大きい。

▼その「大日本帝国」が、戦後、ただの「日本」になったように(アメリカによってだ。われわれが自力でしことではない。)、「大韓民国」から「大」の字がとれて、ふつうに「韓国」となれるのはいつの日だろうか。「中華人民共和国」が、肩の力を抜いて、ふつうに「中国」という国名になれるのは、いつの日だろうか。それが出来たときには、もしかしたら、あらゆる意味で日本を「超えて」いるかもしれないじゃないか。

以上



日刊チャート新聞のコンテンツは増田足のパソコン用ソフト、モバイル用アプリから閲覧可能です。

15日間無料お試しはこちらから
https://secure.masudaasi.com/landing/pre.html?mode=cs
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。