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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第33回・Go For Broke!

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【閑話休題】第33回・Go For Broke!

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-04-17 17:00:00]

【閑話休題】第33回・Go For Broke!


▼Go For Broke(当たって砕けろ)というのは、ハワイの俗語だという。もともとギャンブルなどで、「有り金を全部つぎこめ」という意味らしい。それが一躍有名な合言葉になった。第2次世界大戦時における、アメリカの日系二世だけで構成された正規軍部隊の合言葉だ。最初に志願者による第100歩兵大隊が創設され、その成功から、後に大規模な第442連隊戦闘団( 442nd Regimental Combat Team)が組織された。

▼累計総動員数3万3000人。彼らは日系人であるため敵性外国人とみなされ、家族は強制収容所に入れられていた。日系人の米国における地位向上のために、彼らは志願した。欧州戦線に投入され(さすがに上層部は、太平洋戦線には送り込まなかった)、勇戦奮闘して見事にその目的を果たした。アメリカという国家の、本質的な強さを彼らの事績を通じて考えてみたい。

▼戦後、電通の取締役をつとめた塚本誠という人物がいる。戦後の電通創設には、元特務機関員だった人間が多く参加したが、塚本もその一人(陸軍大佐)だ。その彼が戦前、米国における日系二世の動静について、情報を収集していた。情報屋の一人からこんな話を聞かされたそうだ。
情報屋がある日系二世にこう尋ねた。
「日米戦争が起きたら、あなたはどうしますか」
「戦争が国家と国家の戦いであるならば、私はアメリカ人として日本と戦います。しかし、それが民族戦争なら私は日本人としてアメリカと戦います」
情報屋は、塚本にこう言ったという。
「塚本さん、日本は早く蒋介石と話をつけなければいけません」
アメリカという国の、民族を超えた結集力というものに、心底畏怖させられる話である。

▼事実、彼らは欧州戦線でそれを立証してみせた。延べ死傷率314%。米軍史上、最多の叙勲に輝く栄光の精鋭部隊である。戦線に投入される前、第100歩兵大隊は、訓練基地外でテキサス第2師団の兵士たちと、大乱闘をしている。「ジャップ」と罵られたためだ。痛快なことに、病院送りとなったのは日系兵士が一人だったのに対し、白人兵士は36人に及んだ。まず、その第100歩兵大隊が先発した。北アフリカ戦線に回り、シチリア島を経由してイタリアに上陸。1944年には、ドイツ軍のグスタフ防衛線、カエサル防衛線を次々と突破。イタリア戦線の天王山ともいえるモンテ・カッシーノの戦いに投入された。古い修道院一つを巡る壮絶な争奪戦だ。

▼1944年1月17日。連合軍の総攻撃が開始された。しかし、開戦と同時に連合軍は早くも敗色が濃厚となった。難攻不落の要塞陣地を前に、連合軍は各所で戦線が崩れ、補給線は消滅し、負傷者の後送すらできない。命令系統は寸断され、混乱の極地に達した。ドイツ軍は、自動小銃を携帯した無敵の降下猟兵が主力だったのだ。第100歩兵大隊も強力な砲火にさらされ、負傷者が続出。不運なことに、両翼の英仏軍は全滅し、第100歩兵大隊だけが戦線に孤立するという最悪の状況に陥った。彼らは深く塹壕(ざんごう)を掘り、ただひたすら戦い続けた。

▼連合軍の部隊のほとんどが敗走して再編成を行なっている中、最前線にはいまだ第100歩兵大隊が踏みとどまっていた。連合軍に唯一残された橋頭堡である。やがて物資が尽きたドイツ軍が後退を開始すると、大隊は先陣に立って追撃を開始。この攻撃が呼び水となり、連合軍は反攻に転じ、勝利した。

▼第100歩兵大隊は負傷率97%、死亡率50%。大隊はそれでも進撃を主張し、前線から離れようとしない。これにはさすがの上層部も、「もういい。お前たちは十分よくやった。もうドイツ野郎は逃げちまったよ」と後方での休養を勧めたが、返ってきた言葉は意外なものだった。「俺たちが戦っているのはドイツ軍じゃない。差別や偏見と戦っているんだ。それに勝つには命をかけるしかないんだ」と言い放ち、戦線に復帰していった。

▼同年6月、第442連隊戦闘団と第100歩兵大隊は合流。ここから日系部隊は、第442連隊戦闘団として統一された軍事行動をとっていく。ローマ解放では、事実はどうも最前線に立っていた日系部隊が一番乗りだったらしいが、「歴史」ではこれは隠蔽(いんぺい)された。その代わりといってはなんだが、大統領は一番最初に日系部隊を表彰している。ローマ解放がジャップによってなされたという「史実」は、白人にとって都合が悪かったのだろう。

▼9月、戦闘団は南フランスのマルセイユに上陸。ブリュイエールを占領していたドイツ軍の駆逐を命じられる。すでに連合軍が何度も試みたが、すべて失敗していた。これを激しい市街戦の末、わずか半日で陥落させた。あまりの進撃力に友軍も舌を巻いた。今でもブリュイエールには、その栄誉を称えて「442通り」というのがあるそうだ。歓喜した市民が、日系兵士の家族の境遇を知って心を痛め、大通りの名前を変更することにしたのだ。記念碑には、こう刻まれている。「国への忠誠とは、人種の如何に関わらないことを改めて教えてくれた米陸軍第442連隊の兵に捧げる」。こうした勇戦は、彼らにとってある意味不運でもあった。欧州戦線でも、最悪の激戦地に回される羽目になったからだ。

▼10月、ドイツ軍は温存していたタイガー重戦車を主力とする機甲師団を結集し、フランス北部のアルデンヌ高原で、最後の大攻勢に出た。俗に言う、バルジ大作戦である。不意をつかれた連合軍は敗退につぐ敗退をし、その中で、逃げ遅れたテキサス大隊(テキサス州兵による編成)がボージュの森で孤立した。もはや救出困難とされ、「失われた大隊」 (Lost battalion、ロスト・バタリオン) と呼ばれ始めていた。

▼そこで25日、日系部隊にルーズベルト大統領自身から救出命令が下された。30日、まったく後方支援のないまま、日系部隊は単独でドイツ軍の包囲網を突破。目的地に着くまでに戦闘能力は半減していたが、ついにテキサス大隊の救出に成功。211名を救出するために、戦闘団の216人が戦死、600人以上が手足を失うような重症を負った。救出直後、歓喜して飛び出してきたテキサス大隊のバーンズ少佐が、黄色い顔を見て思わず「ジャップの部隊なのか」と驚いたため、日系の少尉が「俺たちはアメリカ陸軍第442連隊戦闘団だ。今すぐ言い直せ!」と胸ぐらにつかみかかった。少佐は謝罪して敬礼したという。

▼この戦闘は、後にアメリカ陸軍の10大戦闘に数えられるようになった。救出作戦後、ダールキスト少将が戦闘団を閲兵した際、K中隊には18名、I中隊には8名といったように、あまりにも連隊としては少なすぎるので、えらく不機嫌になった。「部隊全員を整列させろといったはずだ」。「目の前に並ぶ兵が全員です」。それを聞いたダールキスト少将は、ショックのあまりスピーチをすることができなかったそうだ。常時2800人の連隊規模は、何度補充を繰り返しても1400人まで減少していたのだ。

▼それでもなお、戦闘団は北イタリア戦線に引き戻される。1945年4月、これまた何度も波状攻撃をかけては失敗していたドイツ軍のゴシック防衛線を、わずか一日で突破。このとき、サダオ・ムネノリ二等兵が、ドイツ兵の投げた手榴弾の上に自ら身を投げ、覆いかぶさった。爆発を体で吸収して戦死。友兵2名の命を救うという悲劇が起きる。彼は、米国軍人に贈られるものとしては最高位の「名誉勲章Metal of Honor」を受ける。

▼第442連隊戦闘団の戦い方というのは、進軍が妨げられた場合、少数が捨て身の突撃を敢行する。彼らは当然、戦死するが、そのわずかな時間、敵の火線が本隊からそれる。その隙に本隊は前進し、敵地へと肉薄する。このように次々と、先頭の少数が後続の者の盾となる。
「一人が死ねば10人が先へ進める。10人が死ねば100人が敵地へたどり着く。100人いれば任務を達成できる。どうやって敵地へ100人を到達させるか。話は簡単だ。自分が盾になればいい」。戦国時代、薩摩の島津兵が関ヶ原において奇蹟の撤退戦を行なった「捨テガマリ」の逆パターンだと思えばいい。

▼この日系部隊には、わずかながら在米の朝鮮人兵士も含まれていた。上層部は当初、朝鮮半島を殖民支配していた日本人との確執を懸念。朝鮮人兵士に対し別の部隊への異動をすすめたが、拒否した。「ここでは、日本人も朝鮮人もない。みんなアメリカ人だ」。これが、第442連隊戦闘団の精神を如実に表している言葉だろう。

▼米国で日本人の評価が高いのは、何も戦後の工業製品ゆえではない。その前から、アメリカのために闘った人間がいたからだ。延べ死傷者数9486人。そして、ここにこそアメリカという国が、ときに途方もない力を発揮する「仕組み」がある。「国家とは何か」を、痛切に思い知らされる事実だ。現在アメリカ陸軍では、第442連隊戦闘団の戦史を学ぶことが必修課程となっている。国家は民族を超えるのだ。戦時中、日本が見誤った、アメリカという国家の本当の底力はここにある。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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