忍者ブログ

増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第348回・新資本論

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

【閑話休題】第348回・新資本論

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2015-02-13 16:33:00]

【閑話休題】第348回・新資本論

▼このところ、フランスの経済学者トマ・ピケティの「21世期の資本論」が世界的なベストセラーになっている。広がる格差と資本主義の矛盾を記したものだ。この本の核心は次の評価式に尽きている。

r(資本収益率)>g(経済成長率)

当たり前のことだ。資本主義というものは、そういう効果を持っている。今さらなんだという感がある。株式投資を長年やっている人であれば、「専門家」に言われなくとも経験上、誰でも覚えのある現実だ。とくにインターネットなどの科学技術と、金融理論の進歩で、資本収益率の増大はあたかも暴走しているかのようにすら見える。

▼そして、彼が批判するこの資本主義の暴走というものは、使いようなのだ。実はこの暴走の機能に乗じて、デフレから脱却しようと考えたのが、フリードマンであり、米国連銀であり、黒田日銀なのだ。これが劇薬であることは、承知の上。ではもしこの禁じ手を用いず、つまり資本主義の暴走を逆手にとってデフレからの脱却を試みようということをしなかったとしたら、どうなっていたと思うのだ。

▼しょせん学者というのは、綺麗ごとで話が終わりがちだが、ピケティもその類いだといっていい。確かに彼は、「資本主義を否定していない」「より高い成長が、格差を是正する」とは言っている。ただ、彼は持てるものと持たざるものの格差が、歴史上稀に見るほど拡大してしまっている問題を取り上げた、ごく一般的な欧州の民主社会主義者にすぎない。

▼格差の議論だけで言えば、フランスは所得上位10%の富裕層が、全国の資産の35%ほどを占め、米国ではそれが40%を超えている。フランスはこの比率がずっと30年にわたって横這いだが、米国はここ40年の間に、フランスと同じ35%から急速に増大してきている。この差が、乱暴な言い方をすれば、米国の資本主義の問題でもあり、同時にどんな経済危機が来ても、どんな金融危機に襲われても、世界でいの一番に回復してきた原動力にもなっている。

▼物事というのは、表があれば、裏がある。欧州は、米国などにくらべれば、社会主義的なイデオロギーの強い精神風土であるから、所得格差はまだマシなほうだといえる。そして、そういう環境を生んでいる欧州の各種制度と仕組みというものは、今、恐るべきデフレの罠に陥っているではないか。

▼日本は、社会体質としては、米国よりも遥かに欧州に近い。社会主義的なのだ。だから、20年にわたるデフレに呻吟してきたのだ。その脱却が、資本主義の暴走原理を逆手にとって活用しようという、まさに博打を打ちにいったのがアベノミクスだ。少なくとも、欧州的な社会主義ではこのデフレの地獄から抜け出すことは、まず不可能である。日本がその実例を見せたではないか。

▼今、日本の識者の間で、この本が売れに売れ、読みに読まれているというのは、ほとんどかつての「ジャパン・アズ・No1」が馬鹿売れしたときと逆の意味で、意味不明である。

▼実際、ピケティの言っていることは、現実論として正論であることが多い。富の不公正是正のための累進課税強化。貧者の救済のための、消費税反対など、最たるもので、税制論にかなり重きを置いている。いかにも社会主義である。そして、この流れを進めるためには、もっと民主主義が強化されなければならない、というわけだ。資本の勢いに負けないために、である。

▼言っていることは、ごくまとも。そして、現実に模索されなければならない諸点を多く指摘している。しかしそのどこが新しいのか、わたしにはさっぱりわからない。なぜ今、そんなに読まれているのか、不思議でならない。わたしたちも、またピケティも、最優先したいのは、成長の持続である(彼もそう断言している)。その為に、圧倒的な数の労働者の所得にかかってくる多くの負担を軽減させて、その消費活力を生まなければ、成長の持続はおぼつかない、という理屈は、誰も否定しないだろう。しかし、一方で、現実に直面しているこのデフレという大問題を破砕するには、まさに資本の暴力に依存しなければならないというのも事実なのだ。それを忘れて、富の再分配など、天に向かってつばを吐くようなものだ。

▼わたしは、今資本主義を奉じる国家に蔓延しつつある、一握りの富裕層が国家の資産のほとんど牛耳っていく過程を良しとは思っていない。そしてそれを是正できるものは、民主主義の強化以外にはないとも思っている。その点では、ピケティの論点とほとんど変わらない。何をいまさらというごく当たり前の議論だ。嫌なのは、ときに右(資本主義)に、ときに左(民主主義を通り越して社会主義)に揺れる風潮という化け物なのだ。答えはもうとっくにでている。フランシス・フクヤマが、30年前に書いた「歴史の終わり」の段階でイデオロギーの時代は終わったのだ。今は、ただ、資本主義の暴走を、民主主義の強化でどれだけコントロールできるかというだけのことで、とくに新しい潮流でもなんでもない。

▼そもそも、とりわけ日本の場合、格差の問題といっても、欧米のように富裕者層が特段増えているわけでもなく、ことさら資産を極大化させているわけでもない。むしろ日本では、ひたすら従来の中間層の所得と消費が、大きく落ちてしまったというのが現状だ。欧米では、中間層が、富裕者層と貧困者層の両極端に分離していったのと違い、日本は一方的に中間層が落ち込んでしまったのだ。出る杭は打たれるという、一人抜きん出ることが難しいこの日本という硬性社会において、この事態を打開するのには、格差是正は二の次、全体を押し上げる成長のほうが圧倒的に優先事項であることは、素人でもわかる。

▼わずかばかりの超富裕層(しかも、欧米と違って、彼らが極端に富裕になっていったわけではない)のことは、放っておき、それよりほとんど全体に近い国民の生活力ががた落ちしてしまったものを、挽回させるには成長以外に道は無いのだ。たかが白人学者一人の流行本をこぞって読み漁る日本人が、情けない。状況のポイントはどこか、優先順位は何かがわかっていないということの証左だと言うしかない。

増田経済研究所 日刊チャート新聞編集長
松川行雄


日刊チャート新聞のコンテンツは増田足のパソコン用ソフト、モバイル用アプリから閲覧可能です。

15日間無料お試しはこちらから
https://secure.masudaasi.com/landing/pre.html?mode=cs
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。