忍者ブログ

増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第51回・歴史認識

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

【閑話休題】第51回・歴史認識

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-05-16 17:45:00]

【閑話休題】第51回・歴史認識

▼歴史認識の問題がかまびすしい。「維新」の橋本代表の発言や、阿倍内閣の右より姿勢など、とくに海外で批判が飛び交っている。この問題は、「やられた側」の受け止め方次第で、まったく認識は真逆になっている。

▼以前、桜井よし子氏と反日論者の一般人たちとの質疑応答をテレビで見ていたことがある。ある若い女性が、「アジアに対する侵略を認めて謝罪すべきだ」と強く主張したのに対して桜井氏は、「あなたの言うアジアとはどことどこの国なんでしょう。はっきり具体的に言っていただけますか」と詰め寄っていた。

▼そうなのだ。反日が、その国の国民の底辺にまで染み付いてしまっているのは、朝鮮半島の二カ国と、中国だけであるといっても過言ではない。しいていえば、華僑の多いシンガポールもそうかもしれない。そのほかは、インドネシア、マレーシア、南洋諸島国、ビルマ、タイ、ベトナム、インド圏などは、親日といっていい。日本の「侵略」を、彼らは「解放」という認識で受け止めている人々が圧倒的に多数派だ。少なくとも、「侵略」であったとしても、自国の独立の最大の契機となったという認識は、まず揺るがないものとなっている。

▼時間のかかる問題だろう。韓国の当時の国家予算は、3億5000万ドル程度だった。これに対して、総計8億ドルの資金供与と無形の技術支援によって「漢江の奇蹟」が起こったことを、韓国人は明確に事実として受け止めていない。なにしろ、韓国政府自体が、その辺を曖昧にしたまま明らかにしてこなかったのだから。

▼そのようなスタンスの国家と、まともに歴史認識をぶつけあっても仕方ないのではないか、とさえ思う。何も金を出したことを、恩に着せようというのではない。いいことも悪いことも、事実は何かということに対する意識が希薄で、都合のよい事実だけを取り上げ、なかったことすら事実だったと捏造しかねないような姿勢では、まともな話ができようはずもない。

▼大きな勘違いというのもある。韓国では、朝鮮半島を併合した明治政府の伊藤博文が、満州はハルビンの駅頭で、安重根(アン・ジュングン)によって暗殺された事件があるが、安重根は韓国では救国の英雄とされている。安重根自身は、大変なインテリで相当の人物であったようだが、伊藤暗殺は完全な勘違いであった。当時、明治政府は財界・軍の圧力で朝鮮半島の併合を望む声が強かった。

▼しかし、伊藤は、西洋列強のくびきから逃れた日本が、同じアジアの国を植民地化することに抵抗を示した。あくまで、韓国を近代国家として独立させることが重要であり、それが達成されるまで日本はせいぜい保護者として支援するという立場を堅持すべきだと考えていた。その安重根による伊藤暗殺は、日本による朝鮮半島「侵略」の唯一にして、最後の防波堤を、自らの手で決壊させたにほかならない。伊藤暗殺後、事態は歯止めのかからない朝鮮半島の属領化へと突き進むことになった。

▼中国とて、同じことだ。いまだに教科書には、日露戦争そのものが記載されていない。諸外国同士が、中国の主権そっちのけで中国を舞台に戦争を行なったこと自体が恥辱的だとして記載されていないようだが、そんなものを歴史の教科書と言えるだろうか。中国との間では、いつも南京大虐殺のことが問題になる。極東軍事裁判で、日本に対する訴状には、南京大虐殺の項目が入っていた。そこで初めて事件が明るみに出たのだ。ところが、東條元首相らへの最終判決文には、この南京大虐殺の項目は削除されている。一体、この事実は何を意味するのか、今一度考えてみるべきだろう。

▼中国でも韓国でも、一般の書店において、さまざまな見方の歴史観や評論といったものはない。日本の書店では、一つのテーマを巡って、まったく違った歴史の見方を書いている本がわんさとある。日本にやってきた留学生たちが、このことに驚愕しているのを、私は実際にこの目で見たことがある。天皇制に関してですら、否定派の本が平然と売られている事実に、彼らは立ち尽くした。中国は独裁国家であるから、出版に検閲が入るのも致し方ない。だが、韓国では検閲がないにもかかわらず、そうした自由な選択肢がないというのは、お寒い状況と言わなければなるまい。

▼90年代初頭、仕事でフィリピンに毎週のように出張していた時期がある。ある日、マニラ湾沖のコレヒドール島に物見遊山に行ったことがある。日米両軍が争奪戦を繰り広げた戦跡だ。行ってみて驚いた。大変な人の波なのだ。その日は、8月15日だった。すっかり忘れていた。フィリピンにとっては日本軍からの解放記念日だ。東南アジアやインド圏と違い、フィリピンはすでに米国から独立を約束されていたから、日本軍進出は完全に侵略であったわけだ。アキノ大統領(女性)が壇上にたって、式典が行なわれている。胸に勲章をいっぱいつけた退役軍人が並んでいる。真ん中にフィリピンの国旗が、その右には解放者である米国の星条旗がはためき、なんと左側には燦然と日章旗が翻っていた。

▼フィリピンにおいて、山岳地域へ撤退戦を繰り広げた日本軍による、目を覆うような蛮行については、いまだに語り継がれている。そのフィリピンでこうしたことが行なわれていたのだ。親日のアジア国家が多いとはいえ、このような解放記念日に日章旗を挙げてくれる国を、私は見たことがない。この国と中国や韓国との違いは、一体なんなのだろう。フィリピン人特有のおおらかさも作用しているのかもしれない。日本からの資金援助があるから、政治的配慮だろうという浅はかな解釈もあるだろう。しかし、政権を揺るがすほど反日感情の圧力が強い国であれば、いかに資金援助があっても、ありうる話ではない。

▼中国・韓国とフィリピンの違いについて、はっきりしていることは、歴史認識において、フィリピンでは民間に自由な議論が許されていることだ。テレビ番組で、親日的な言動を弄したという理由だけで降板させられたり、有名大学の教授の座から引き摺り下ろされて、非国民と罵られるどこかの国とは、その民度の差は歴然としている。

▼フィリピンでは、もっと驚いたことがある。駐留米空軍のクラーク基地というのがあった。ルソン島北部の内陸、パンパンガ州だ。ジープを借りて見に行ったのだが、基地を通り過ぎて郊外に出た。延々とさとうきび畑が続いている。そこに、ふと垣間見えたのは、海軍の旭日旗だった。まさか、目の錯覚だろうと思ったが、もしやと思い、ジープをバックさせた。すると、まごうことなき旭日旗が、サトウキビ畑の中にあったのだ。

▼一帯は、さとうきび畑の中の一角を切り取った形になっており、ブロックとコンクリートで四方を囲われていた。鉄のゲートを開けて、「参道」をまっすぐに進んだ真正面に、フィリピンの国旗と旭日旗が描かれていた。そして碑文があった。マバラカット海軍航空基地跡の記念碑だったのだ。

▼そこには長文の碑が刻まれており、そこには「想像を超える勇気」として、日本で最初の特攻隊(関行雄大尉の敷島隊)が飛び立った事績を、絶賛していた。私は目が点になった。当然これは、遺族たちが建てたものだろうと思いきや、最後のところに、アンジェレス市長ダニエル・ディソンと署名してあったのだ。フィリピン人の中にも、親日的な人はいるだろう。むしろ注目すべき事実は、こうした親日的な人による鎮魂のメモリアルが、公然と建てられることが許されているという点だ。朝鮮半島や中国大陸で、こんなことが一体起こり得るだろうか。

▼日本がやってきたことを、正当化しようなどと思っていない。ただ、事実となぜそうだったのか、ということに対する冷静にして客観的な議論が行なわれないのなら、歴史認識の共有など、あり得るはずがない、と思うだけなのだ。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




日刊チャート新聞のコンテンツは増田足のパソコン用ソフト、モバイル用アプリから閲覧可能です。

15日間無料お試しはこちらから
https://secure.masudaasi.com/landing/pre.html?mode=cs
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。