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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第74回・変わりゆくもの

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【閑話休題】第74回・変わりゆくもの

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-06-18 17:30:00]

【閑話休題】第74回・変わりゆくもの

▼かつて日本マクドナルドの創業者、藤田田(ふじた・でん)が銀座一号店を出した頃、面白いことを言った。「マクドナルドを食べるようになれば、そのうち日本人はみんな金髪になる」。あれから40年。驚くべきことに、それは現実になっている。彼の予言は当たったのだ。表に出てみれば、やたら金髪に染めた日本人が目につく。藤田が生きていたら、どう思うだろう。

▼文化は時の流れとともにどんどん変わっていくものだから、金髪が増えたところで一向に構わない。言葉でさえ、古い言葉が死語と化していくことに一抹の哀惜を覚えるが、それも時代なのだろう。言葉は生きものだから、言葉の乱れは社会の乱れでもあるが、変貌していかなければならない。フランスのように、かたくなに外来語を公的な表現として規制するのは、しょせん無駄なことだ。逆に、某国内大手ネット企業では、社内の公用語を英語にしたというが、これもまたどうかしている。

▼もっとも、日本人のすべてが金髪になろうと、英語が母国語になってしまおうと、日本人が、日本人というアイデンティティを失うことは、まずない。日本という社会の風景がどんどん変わりゆく中で、思ったほど日本人が混乱をきたしていないように見えるのは、どこか安心感があるからだろう。意外なところで、天皇制が効いているかもしれない。逆に考えれば、とても分かりやすい。おそらく日本が日本でなくなる日というのは、日本人が滅亡するか、天皇制がなくなる日だと言ってもいい。

▼だから、というわけではないが、変わりゆくものにそれほど目くじらを立てる必要もないだろう。言葉もそうだ。「新しい」という言葉がある。今では当たり前のように使っている言葉だが、江戸時代までの正しい言い方は、「新(あら)たしい」だ。「新たに」なるわけだから、「新たしい」が正しかった。それが、誰がどこでどう間違えたのか、「新しい」と言うようになって、そのほうが発音しやすかったのか、結局こちらが市民権を得た。今や、「新たしい」などと言ったら、受け狙いでわざと言っているようにしか聞こえないだろう。

▼言葉は、遊ぶものだ。その遊びについて、いちいち眉間に皺(しわ)を寄せていたら、言葉は息ができなくなる。ギャル語だろうが、なんだろうが、命の短いものはしょせん消えていく。残ったものは、きっと残るだけの意味がある。そう考えたほうがいい。

▼しかし、あまりにも変わりすぎて、どうにも面食らう国もある。お隣の朝鮮半島だ。中国と日本という強力な磁力の狭間にあって、二つの国に引き裂かれている。不幸なことに国家が南北に分断されていることとあいまって、韓国では我々からみると、あまりにも異常なことが平気で行なわれている。

▼たとえば、もともとは儒教と仏教の国だったはずなのに、朝鮮戦争以降、いきなり全国民の3割がキリスト教徒になってしまった。仏教徒を上回るぶっちぎりの最大宗教勢力である。このような、民族ごと改宗してしまうような激変ぶりは、なかなか日本人には理解しがたい。また、文字についても極端だ。日本でも、当用漢字の制限などという馬鹿げたことをしてきたが、韓国はその比ではない。申し訳程度に漢字が残っているだけで、基本はハングルだけで表記している。北朝鮮はもっと凄い。漢字を完全に廃絶しているのだから。

▼韓国人のキリスト教化は自然発生的なものだったようだが、漢字の不使用は明らかに意図的なものだ。どちらにせよ、極端に走る韓国という社会は、いったい韓国人とは何なのか、韓国とはどういう国なのか、という基本的なアイデンティティを探しあぐねているような気がする。もっと言えば、過去何千年もの間、朝鮮半島という地政学的な環境が、彼らのアイデンティティを延々と求めて漂流し続けてきた側面もあるだろう。つねに韓国人とは何か、という明確で極端なアイデンティティを確認していなければ、社会や精神文化の安定が図れないのかもしれない。

▼幸か不幸か、日本にはこうした厳しい地政学的な危機感というものが、歴史的には希薄だった。だから宗教にしても、言葉にしても、実に「ゆるい」。それがときに、国の乱れと懸念されるようなネタにされてしまうのだが、その自由な発想と選択肢こそが、この国の文化の柔軟性、弾力性を生んでいると考えるべきだろう。

▼もともとの形を大事にすべきだというのは、言うまでもない。もっともなことだ。そして、変わりゆくものを嘆く必要もない。社会というものは、生命と同じで、必ず生き残るための最善の道を選択していくものなのだから。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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