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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第75回・危機一髪

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【閑話休題】第75回・危機一髪

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-06-19 17:30:00]

【閑話休題】第75回・危機一髪


▼男というのは、どうしようもない生き物だ。群れて飲むと、どういうわけだか、いかに自分が危険な目に遭ったか、ひどい目に遭ったかを自慢しあう性癖がある。言わば、武勇伝の競演だ。私もその一人だが、ハタから見ていると、滑稽としか思えない光景だろう。

▼サラリーマン時代、先輩たちのそうした武勇伝をさんざん聞かされたが、実際、彼らが直面したアクシデントというのは、今思い返しても背筋が寒くなるようなものが多い。

▼中近東方面に勤務していたD部長の話は凄かった。内戦時代のレバノンに出張へいったときのことだ。郊外のトラックターミナルに、タクシーで行ったその帰り。ベイルート市街に戻る前、チェックポイント(検問所)で数珠つなぎになった車の列で渋滞に巻き込まれた。タクシーも当然止まるはずだったが、何を勘違いしたのか、それとも危険を察知したのか、運転手はいきなり渋滞の列から飛び出して、検問所を突破せんばかりに加速したのだという。

▼米国製のM60ブローニング軽機関銃を装備していた兵士たちは、この暴走するタクシーめがけて一斉射撃をした。車のガラスはもうめちゃくちゃ。運転手は車を捨てて、逃走した(その後どうなったか不明)。駆けつけてきた兵士たちが、銃口を車内に突っ込んだ。D部長は生きた心地がしなかったそうだ。銃弾が当たらなかっただけ、奇蹟だと思ったという。

▼結局、パスポートを見せて日本人だと分かると、すぐ解放された。そこからとぼとぼと、重いカバンを持って市内のホテルまで1時間かけて戻った。やれやれ、今日はえらい目にあった、とシャワーを浴び、食事をした。その後、今日中にトラックターミナルでの一件を出張レポートにして書かなくてはと、机に向かう。

▼そのときである。研究社の英和中辞典を取り出すと、違和感がある。「ん?」と思ってよく見ると、7.62mmの銃弾がすっぽりと辞典の中に埋まっていたのだ。突き刺さっていたというのが正しい。タクシーの中の状況を思い出してみると、辞典を入れたカバンを体側に置いていた。もし辞典が入っていなかったり、カバンを膝の上にでも抱きかかえていたら、銃弾は腸(はらわた)を貫通していたことだろう。東京のD部長の机の上には、「お守り」として銃弾が入ったままの英和中辞典がいつも置かれていた。

▼本人は必死だが、部外者からみると笑いのネタにされた危機一髪劇もある。イランのホメイニ革命で、日本企業は総撤退したわけだが、まだ残務処理をしていた企業も多かった。私が勤めていた会社もそうだが、テヘランにAさんが一人で駐在していた。当時、イラクとイランの7年戦争が始まっており、イラクが制空権を握っていた。連日、テヘランはイラク軍の爆撃機によって空襲されていたのだ。

▼残務処理といっても、向こうの公団との交渉業務であるから、逐次状況を本社に連絡しなければならない。といって、電話もテレクックスも革命直後の混乱でなかなか通じない。そこで、毎日次々と脱出する日本人に、口述した録音テープを託したのだ。その一つを、私たちは東京の本社で車座になって聞いていた。

▼最初はAさん、いつも通りに淡々とその日の交渉内容を語っていたのだが、その合間に、なんだか妙な音が遠くから聞こえてきた。「ヒュー、ヒュー・・・」、そのうちに「ドーン、ドーン」という感じなのだが、これらの音が大きくなってくる。空襲が始まったのだ。やがて、かなり近くに落ちたようで、「バァ~ン」という、ものすごい爆発音になっていった。テープではとても吸収しきれない音なのか、音質が割れてしまって、なんだかよく分からない。とうとうすぐ近くのビルに落ちたようで、しばらくすると、Aさんの事務所の窓ガラスがバラバラと割れるような音になっていった。

▼このとき突如、Aさんがテープの中で、絶叫する。「この野郎! おまえら、安全なとこにいて、のうのうと聞いてるんだろうがあ! 俺がどんなとこにいるか、ようっく覚えておけ! これからおれは防空壕に入るから、続きはその後だ。分かったかあ、この馬鹿野郎!」。テープは、ブチっという音をして切れた。まったくAさんの言う通りで申し訳なかったと思うが、なにしろ、いきなりAさんの口調が絶叫に変わったので、思わず噴き出してしまったのだ。

▼帰国したAさんに聞くと、「くるぞ、くるぞ」と思いながら口述していたのだが、いきなり隣のビルが煙を出したので本能的に机の下に潜りこんだ。室内が爆風で粉砕された後、おそるおそる頭を出してみた。テープレコーダーがまだ無事に回り続けていたので、取りあえずテープに怒鳴って一目散に地下の防空壕に逃げたのだという。しかし、因果は巡る。腹を抱えてAさんの狼狽ぶりを笑っていた私にも、危機一髪のそのときが巡ってきた。

▼私はその後の出張で、パキスタンへ行った。代理店の連中と連れ立って、カラチ市内のバスターミナルに向かったときだ。メインストリートに出て15分ほどのところなので、ぞろぞろと歩いていった。ちょうどソ連のアフガン侵攻があり、難民ゲリラが大挙してパキスタン国内に逃げてきていた。フランスがソ連空軍に戦闘機を売っていたこともあって、彼らの間では反仏感情が沸き立っていた。そのテロが始まっていたころの話である。

▼フランス航空の事務所を通りすぎてすぐのことだった。いきなり背後でものすごい爆発音が聞こえて、爆風と同時に瓦礫(ガレキ)が飛んできた。みないっせいに伏せた。私もカバンを頭に置いて、鉄製のゴミ箱のそばに身を隠した。音が静まってからも、バラバラと石やチリのようなものが落ちてくる。後ろを見ると、フランス航空の事務所がそっくり吹き飛ばされていた。

▼死者も出たらしいが、詳細は分からない。路上にも、倒れている人たちがいた。こういう場合、恐怖感はない。ただ、何がなんだか分からず、呆然としているだけだ。しばらくすると、慣れっこになっていた現地のスタッフたちがあちこちから集まってきて、「いつものことだ」と言う。そして、何事もなかったかのように我々をせかして、さっさとその場を立ち去った。

▼その後、内戦勃発直後のスリランカに予定を強行して出張に行ったこともある。だが、爆発で吹き飛んだビルや家は見たものの、幸運なことに身の危険を感じるような事件に巡り遭うことはなかった。死ぬか生きるかの危機一髪を逃れると、残りの人生の運を使い果たすと言う人もいる。しかし、命あってのモノダネ。飲み会で語れる武勇伝が一つでもできたことに、今は感謝するしかない。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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