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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第84回・東と西(後編)

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【閑話休題】第84回・東と西(後編)

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-07-02 17:45:00]

【閑話休題】第84回・東と西(後編)


▼時代をさかのぼって、剣術にもざっくりと大きな違いがあるらしい。たとえば、西国の剣聖というのは、とかく動く剣術が多いようだ。走る、といったほうがいいかもしれない。宮本武蔵(岡山出身と言われる)の数々の決闘歴を見ると分かるが、実によく走る。走っては切り、切っては走り、だ。きわめて動的な剣術といっていい。西といえば、もっとも西(南)の鹿児島では、薩摩の示現流(じげんりゅう)などがその過激なパターンだろうが、やはり動きが激しい。これに気合を入れるところなどは、咆哮(ほうこう)と言っても過言ではないくらいだ。

▼これに対して、東国の剣には静的なものが多い。剣のきっさき(刀の先端部)を突き合わせるかどうかという、微妙な間合いをとって両者ともに動かない。もちろん、声も出さない。延々と動かないのだ。そして、動いたと思ったら、その瞬間に勝負がついている、といったような類が多い。多いというよりも、好まれるといったほうがいいのだろうか。西国の動的な剣と、東国の静的な剣というのは意外な事実だ。私などは、逆かと思っていた。

▼古くは、労役に用いられる主な動物と言えば、西国の牛に対して東国の馬であった。このような違いが積み重なり、1000年の間に多くの地域差を生み出したのだろう。もちろん、いうまでもなくこれによって生まれた東西の違いというものは、どちらが良い悪いの問題ではない。

▼食べ物だけではなく、習慣もかなり違う。風呂なども今でこそ日本全国津々浦々、まったく似たようなものになっているが、かつては違っていた。しかもこの風呂という言葉、関西地方で主に使われていた。風呂は熱い湯の上にスノコを置き、そのうえに坐って汗を流すのである。今日のサウナ風呂に似ている。それでは汚いではないか、と思うかもしれないが、かつて風呂には「うど」などの木べらを用いて垢取りをしてくれる専門職が常駐していた。

▼かつて関東地方では風呂とは言わず、「湯」という言葉が使われていた。本来は、風呂屋(毎年減り続けているが)ではなく湯屋なのだ。ただし、熱い「湯」の中にざんぶりとつかるのは江戸っ子の習慣であって、日本人全体の好みではなかった。

▼いろり(囲炉裏)とかまど(竈)の違いも大きい。いろりは東日本のもので、西日本にはほとんどなかった。いろりは家族の統率者である「筆頭」を中心に「座」を形成する。長男以外の子供や嫁などに「席」はない。西国では、かまどで食事の支度をし、家族の筆頭はいるにしても、基本的には家族全員の団欒(だんらん)がそこにあった。こうした昔の習慣は現在では比較のしようもないのだが、このような習慣が見えない形となって続いていたり、あるいは別の風習や嗜好、価値観に姿を変えていまでも続いている可能性はある。

▼こうしてみると、日本人をひとくくりで語るには抵抗を感じてしまうくらいだ。民族のDNAや言語形成などを取り上げるまでもなく、日本人そのものがあまりにも雑多な集合体であることが分かってくる。

▼よく就職試験などで、「国際性があるとはどういうことか」と聞かれるようだが、私は「民族や地域の違いを知っているということと、それを許容できることだ」と理解している。英語ができることが、国際性のあることではない。これは、日本国内についても同じだろう。地方の閉鎖性を批判する前に、地域間の違いや、どうしてそれが生まれたのかという理解なくして、それを許容することは難しい。日本人が世界のことよりも先に、まず自分たちの国のことを知らなければ話にならない、ということの証左であろうと思っている。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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