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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第90回・珠玉の名編

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【閑話休題】第90回・珠玉の名編

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-07-10 18:00:00]

【閑話休題】第90回・珠玉の名編


▼第80回「珠玉の短編」の続きである。今回は短編というより、中篇といったほうがいいかもしれない。それで、「珠玉の名編」と題しておいた。取り上げたのは、『人間の土地』(サン・テグジュペリ)である。サン・テグジュペリは、『星の王子さま』で有名だが、これは私にはまったく分からない。大人向けの童話というものが、どうにも不得手なのだ。宮沢賢治の童話より、もっと意味不明である。ただ、専門家に言わせれば、サン・テグジュペリの思想は、ほぼこの『人間の土地』という随筆に、ほぼ書き尽くされているといっていい。実存主義の精華である。

▼『人間の土地』は、いま出ている新潮社の文庫本の序文を、アニメで有名な宮崎駿が寄せているが、なかなか秀逸な解説文となっている。よほど宮崎に影響を与えた本らしい。私が読んだのは、高校、大学のときだが、何度読んだか分からない。

▼20世紀のヨーロッパでは、神なき時代に、どうすれば人間が自分自身で倫理規範を持てるか、ということが大問題になった。「神=正義」という価値観は、科学文明の進歩で崩壊してしまった。科学の恩恵に浴するはずが、第一次大戦ではそれによって1000万以上の戦死者を出すという未曾有の地獄を経験したことで、それは決定的になってしまったのだ。正しいはずの神が、こんなことを許すはずがない、というわけだ。

▼日本人の場合、神は必ずしも正しいという概念でとらえていない。もっと畏怖すべき対象としてとらえている。怨霊でさえ神に祀られるのだから、おのずと神の概念は異なる。が、しかしそこは横に置いておき、物質文明を享受し、毒されているという点では、ヨーロッパも日本も同じであるから、この人間主体の時代にあって、ひとまずヨーロッパの人たちの思考回路と、問題の解決方法を見てみよう。

▼サン・テグジュペリの自伝的随筆ともいうべき『人間の土地』は、彼がアフリカの航空郵便飛行士として従事していたころの話である。夜間、郵便物を積んだ飛行機で北アフリカの空を航行していた。それが不時着したのだ。ところが、計器が故障していたために、いったい自分がアフリカに墜ちたのか、アラビア半島に落ちたのか分からなくなってしまったのだ。

▼アフリカなら、東へ向かえばよい。アラビアなら西へ向かえばよい。きっと海にたどり着く。海岸にはかならず集落がある。しかし、もし判断を間違えて逆に向かって歩き出せば、途方もない無限の砂漠地帯に入り込み、命を落とすことになる。いったい、自分はどこに墜ちたのだ。サン・テグジュペリは、その一方に賭ける。行けども行けども砂漠は続く。

▼夜歩き、昼は休むなど工夫をしたが、最後の一滴の水を失って、とうとう心が折れた。もう一歩も歩けない。ここで死ぬのだ。脳裏には、家族や友人たちが、自分をどんなに心配していることだろう。それを思うと、胸が張り裂けそうになる。「誰か、早く自分を救出してくれ!」と叫びたくなる。しかし、体はもう動かない。炎熱の中で、絶望感だけが広がっていく。

▼ところが、ふとこの考えが間違っていると気づく。救われなければならないのは、自分ではない。家族や友人たちだ。心配して食事も満足にできなくなっている彼らを救ってやれるのは、自分しかいないじゃないか。そうだ、待っていろ。私が助けてやる・・・。サン・テグジュペリは、歩けなくなった足をなんとか動かし、よろよろと再び砂漠に踏み出した。そこに、ベドウィン(アラブの遊牧民族)の一行と遭遇する奇蹟を得て、救出される。

▼この逆境という極論を使って、サン・テグジュペリは考え方を逆転させたのだ。この思考のプロセスには、欧州人特有の「神」は出てこない。いわゆる「神が死んで」以降、欧州人が悪戦苦闘して得た、一つの結論がこの実存主義だった。「個の生をテーマにした実存主義」を解説したものとしては、『人間の土地』がおそらく一番分かりやすい。

▼これがカミュのような作家の手にかかると、サルトルと同様、理屈のための理屈のような話になってくる。たとえば、アフリカに飢餓で死にそうな人が一人いたとする。その人は、スプーン一杯のスープがあったら、死を回避できる。ところが、そのときもし私が自宅で、たいした理由もなくスプーン一杯のスープを捨ててしまったら、私はそのアフリカ人を間接的に殺害したことになる。私たち人間は、必ず世界の誰とでも関係性があり、つながっているのだ・・・このような理屈である。どうだろうか。そのようなややこしいロジックがないと、「神無き時代」を生きることができないほど、彼らは厄介な思考回路を持っていたのだろうか。

▼これに対して、サン・テグジュペリの『人間の土地』は、ともするとあきらめ癖があり、依存心の強い日本人にとって、一人で困難に立ち向かう勇気や、心のたたずまいというものを気づかせてくれるはずだ。その美しい言葉でちりばめられた珠玉の随筆は、実存主義という枠組みを超えて、なお私たちに静かな感動を与えてくれる。以下に、サン・テグジュペリの名言を列記してみよう。

「文明、それに比べれば、死はさしたることではない。私たちは星に向かって消えた音楽だから。」

「真の意味でぼくを豊かにしてくれたのは、ぼくが受け取ったものより、多くのものを与えた場合だけだった。」

「人間であるとは、まさに責任を持つことだ。自分には直接には関係がない悲惨を前にして、恥を知ることだ。」

「手に入れたものによってと同様、失ったことを惜むもの、手に入れたいと望むもの、喪失を嘆くものによっても、導かれ、授乳され、成長させられる。」

「昨日流された血のゆえに、拳を振ってはならない。」

「愛するということは、お互いの顔を見つめる事ではなく、一緒に同じ方向を見つめる事だ。」

「生きていることは、徐々に生まれることだ。」

「完璧がついに達成されるのは、何も加えるものがなくなった時ではなく、何も削るものがなくなった時だ。」

「生きながらえるためには、服従すべきであり、存在しつづけるためには、戦うべきだ。」

「置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝したい。」

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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