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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第92回・首相の好物

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【閑話休題】第92回・首相の好物

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-07-12 17:30:00]

【閑話休題】第92回・首相の好物

▼大統領の好物に続き、日本の首相の好物を見ていこう。私などの世代がすぐに思いつくのは、池田勇人首相とライスカレーだ。カレーライスなのか、ライスカレーなのかはともかく、当時はライスカレーと呼んでいた。1960年代、ライスカレーは政治家が庶民派をアピールするのに格好のメニューであったようだ。ランチ越しに閣僚会議をやることも多く、首相という仕事は分刻みのスケジュールが常だが、池田首相はとにかくひたすらライスカレーを食した。親しみやすい政権をアピールする狙いもあったと思われるが、ご本人、掛け値なしの大好物だったようだ。ただ、他の閣僚たちは、またライスカレーを食べながらの会議だというと、みな一様に「げんなり」したそうだ。

▼続く佐藤栄作首相は、なにしろ魚介類が大好きだった。だから、寛子夫人は公邸の屋根の上に、干物にするための魚を干したこともあるほどで、これは物議をかもした。公邸の屋根は高く広く、日当たりがよいうえ、猫にも気づかれないので、干物づくりにはもってこいの場所だったらしい。マスコミなどは批判したが、私は個人的にはなかなかいい光景だったと思う。

▼田中角栄首相は1972年の自民党総裁選で、佐藤栄作の後継として本命視されていた福田赳夫を破り当選を果たした。学歴も高等小学校卒(その後、専門学校で建築を学ぶ)、裸一貫でのしあがったその経歴から、国民は「庶民宰相」「今太閤」ともてはやした。首相就任直後、母親は「今でも鮭の頭と大根煮が好きで、あぶら味噌も食べとる」と言っていたから、いかにも庶民派だ。ただ、特別有名な好物というのはあまり聞かない。ただ、濃い味がとにかく好きで、ごはんにバターを乗せたり、ラーメンにジャブジャブと醤油をかけていた話は有名だ。

▼田中角栄の宿命のライバルだった福田赳夫首相(福田康夫首相の父親)は、こよなく麺類を愛した。とくに蕎麦だ。ただ、その蕎麦好きはちょっと度を超していて、韓国を訪問した際には13食のうち12食を蕎麦で済ませてしまったという。記者団もつき合わされることが多かったが、みな閉口したようだ。逆に、苦手としたのが鶏肉。鴨南蛮を出されたときには、肉を箸でつまみ出してから食べていたという。

▼1980年代、5年間の長期にわたり政権を担当した中曾根康弘首相は、官邸の執務室の机の引き出しにいつもバナナをしのばせ、多忙なときなどに食べていた。小腹が空いたらとにかく、バナナだったらしい。しかし、もう一つ、彼の大好物には卵焼きがあった。食事に出されると残しておいて、必ず最後に食べるほど目がなかったという。

▼橋本龍太郎首相のアンパンや、小渕恵三首相のピザ、小泉純一郎首相のビールとチーズというのは、いずれも話のネタとして存在しているだけで、どうやら本人の本当の大好物とは関係ないらしい。だんだん時代が下ってくると、こういったちょっとした話でも、面白さがなくなって来る。昔の首相のほうが食べ物にしても、身の回りのことにしても、インパクトのあるエピソードに事欠かなかったものだが、人間の器が小さくなってくるにつれて、そんなエピソードも耳目を集めることがなくなってきた。

▼ちなみに、食事とは違うが、嗜好品ということで吉田茂首相の葉巻のことを書いておこう。戦前からこの人は葉巻派である。背は小さいが、恰幅のよさでは歴代首相の中でも飛び切りだった。敗戦後の日本人は、米軍の占領下、どこか気後れしていたことは間違いない。打ちひしがれていた国民に、絶大な人気があったこの吉田首相は、支配者であるアメリカ人にも臆することなく、不遜とも言えるほど偉そうな態度をとった。なにしろ、国会に羽織袴、白足袋で登場し、周囲の迷惑も顧みず、葉巻を悠然とふかすのだ。葉巻の煙や臭いが苦手な人はたまらない。おまけに短気を起こすと、国会だろうと記者会見だろうと、「馬鹿野郎!」の連発だ。

▼ある日、マッカーサーGHQ最高司令官が、吉田首相と会談した。吉田が胸のあたりを両手で、まさぐっている。マッカーサーは「葉巻だな」と思い、そのときのために用意してあった、ハバナ産の高級葉巻をさっと差し出した。「ミスター吉田、これをどうぞ」。吉田は、「いや、私は国産しか吸わないことにしています」と言って、秘書から日本製のタバコをもらって吸い始めた。

▼マッカーサーは、驚いた。敗戦後の貧しい日本だけに世間をおもんぱかり、本当は好きな葉巻は我慢して、できるだけ国産のタバコにしているのだろう。そう思ったマッカーサーは、そのタバコの銘柄を覚えておいて、次に会談するとき、懐に忍ばせておいた。

▼また、二人が会うときがあった。吉田は例によって、胸ポケットに手を入れる。マッカーサーはここぞとばかりに、国産のタバコをさっと差し出した。「ミスター吉田、これをどうぞ」。吉田はそれを一瞥(いちべつ)すると、フンという感じで、胸から葉巻を取り出した。「私は昔から、葉巻しかやりませんのでな」・・・。

▼もう、これはいじわるというか、当てこすり以外の何ものでもない。だが、吉田を弁護するとしたら、当時、日本が無条件降伏をした後だけに、何事もアメリカの言いなりだった日本人として、少しでも気骨を示したい、そんな意地のようなものがあったのだろう。それが子供じみたいじわるのようなものだとしても、である。

▼こうした吉田の、相手が絶対的権力を握っていたマッカーサーだろうと誰だろうと、まったく臆することのない態度というものに、日本人は拍手喝采した。敗戦で自信という自信を喪失し、まだ焼け野原が残っていた日本にあって、吉田の「民族としての最後の矜持」――これだけは絶対に譲らないというスタイルは、日本人が誇りを取り戻すために、どれほどの演出効果があったか知れない。そのような風格と気概を持つ首相の存在も、今は昔の物語と化した。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄



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