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増田経済研究所『閑話休題』バックナンバー

【閑話休題】第99回・奇蹟

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【閑話休題】第99回・奇蹟

【日刊チャート新聞記事紹介】

[記事配信時刻:2013-07-24 17:50:00]

【閑話休題】第99回・奇蹟



▼この話を信じるか、信じないか。それは読者に委ねるしかない。たまたま、ネトラジ(インターネット・ラジオ)で聞いた話だが、どうしても自分の中にだけ留め置く気にならない。この場を借りて、ご紹介することにする。ラジオで話した人は、旅行ガイドを勤めている中年の女性なのだが、とんでもない出来事を経験したのだ。

▼信州には、全国的にも大変有名な善光寺がある。浄土宗と天台宗(密教)の、二宗並学の大寺だ。住職も、二宗交代で務めている。そこには、いわゆる名所として「御戒檀巡り」というものがある。堂の片隅の床に入り口があり、そこから地下へと階段を降りる。真っ暗闇の中、地下道を歩く。手探りで本尊の真下に懸かる御錠前を触り、本尊・阿弥陀如来の御縁をいただき、極楽往生をお願いするのだ。

▼御戒檀巡りと似たようなものは全国の寺に多々あり、たとえば京都の清水寺の堂宇にも「胎内巡り」といったものがある。こちらは、千手観音だ。

▼さて、そのガイドさんは、婦人会の団体旅行客を案内することとなった。行き先は信州・善光寺である。旅行客の名前も次第に覚え始め、それぞれの性格などもだいたいつかめてきた頃、Mさんというお婆さん( 80歳台)が、ふとこんな話をした。

▼「私ね、実は末期癌なの。だからこれがみんなと一緒に来られる最後の旅行になると思うのよ。せいぜい楽しくしましょうね。みんな知っていることだから、あなたも別に気にしないでね」。ガイドさんもMさんの期待に沿えるよう、心を尽くしたことは言うまでもない。

▼一行は、例の御戒檀巡りをすることになった。Mさんは、団体の一番最後に入った。ガイドさんは、さらにその後、しんがりをつとめた。漆黒の闇である。地下通路は二人がやっと並ぶことができる幅しかない。

▼先に歩いていたMさんが、なにやらブツブツ独り言を言っている。ガイドさんは、「きっとMさんが、その前を歩いていた人に追いついて、二人で錠前がどこにあるのか、探しているのだろう」。そんなふうに思っていたそうだ。

▼ガイドさんは、それでしばらく暗闇の中で立ち止まり、Mさんが先にすすむのを待った。二人の間は、おそらく6~7メートルくらいあいていた。やがて、すっとんきょうなMさんの声が聞こえた。「え~っ。いったい、なんなの?」。えらく大きな声だったそうだ。

▼で、表に出たガイドさんは、Mさんに聞いた。「さっき、御戒檀巡りの中で、なにをお話されていたのですか。最後は、ずいぶんびっくりされていたようですけど」。するとMさんが、こんなことを話してくれたそうだ。

▼Mさんは、一人で御戒檀巡りをしていた。前の人から相当離れてしまったようだ。たぶん、前の人はもう外に出てしまったことだろう。手探りで錠前はどこかな、とあちこち触っていたとき、なにやらドタバタと真っ暗な通路を後ろから走ってくる音がする。自分を通り越して行ったと思ったら、今度は前から走ってくる。音の感じからすると、子供だ。

▼Mさんは、独り言をいったそうだ。「あぶないわねえ。こんな真っ暗な中を走るなんて・・・」。愚痴とも、文句とも言えない独り言だった。すると、その足音が、ぴたっと自分の横で止まった。

▼「おばあちゃん、ぼくが見えるの?」・・・。明らかに小学校3~4年生くらいの子供の声だったという。男の子だ。「見えやしないけどね、そりゃ分かるわよ。そんなにドタバタ走ってりゃねえ。ぼく、ここは遊ぶところじゃないんだよ。早くお父さんお母さんのところに行きなさい」。

▼すると、その子供(とおぼしきモノ)は、後ろからギュッとMさんの腰に抱きついた。子供が母親に甘えるときのような感じだった、という。そして、とても小学校3~4年生の子供とは思えぬほど、「透き通った」「荘厳な声色」で、こう言ったそうだ。「ほとけさまのご加護がありますように・・・」。次の瞬間、自分の腰に抱きついていた子供の体の感触がふっと消えた。で、「え~っ。なんなの!」という驚きの声になったわけだ。子供の体が自分から離れていく感覚はなかったという。そうではなく、消えていった、というのだ。

▼そこまでなら、結構どこにでもあるような話かもしれない。一種の怪談といってもいい。しかし、驚くべき事実はその後にやってきた。

▼Mさんたちの団体旅行は無事、つつがなく終わった。その後、ガイドさんは次から次へと団体旅行客を案内する仕事で、全国を飛びまわっていた。やがて、また例の婦人会の団体旅行を引き受けることになった。そして、驚愕の事実を知ったのだ。

▼なんと、またあのMさんが参加していたのである。しかも、ピンピンしているではないか。聞けば、善光寺参りをしたあの旅行の後、検査のために病院へ行ったところ、とんでもないことが判明したという。末期癌はわずか数週間で、影も形もなくなっていたのだ。担当医が、「とても信じられない」と真顔で言っていたそうだ。以前のレントゲン写真と見比べて、ただウ~ンと唸ってばかりいたという。

▼いったい、この世にそんなことがあり得るだろうか。ガイドさんは仕事柄、あちこち泊まり歩くので、ときにおぞましい(オカルト的な)現象に遭遇することもある、という。しかし、こうしたあまりにも劇的な現象が起こったのは、後にも先にもこの一度だけだ、と話す。

▼おそらく、あの善光寺の御戒檀巡りでは、婦人会のメンバーがみんな少なからず、「Mさんが、極楽往生できますように」という思いを持っていたはずだ。あのときの旅行は、言ってみれば、婦人会がMさんの「生前最後の思い出」として、お別れ会代わりに企画したものだったのだ。善光寺だったのも、そういう含みがあったそうだ。数の力ではないが、多くの人が霊験あらたかな場所で、同時に同じ思いを凝らしたとき、なにかが働いたのかもしれない。ガイドさんは、そんな風に解釈しているそうだ。

▼Mさんが参加している婦人会では、四季ごとに旅行を計画しているそうだが、以来、前にも増してMさんは元気になっているそうだ。100段もあるようなお寺の階段をさっさと上り、「ガイドさん、はやくはやく。がんばってぇ」という感じで、つくづく閉口すると苦笑していた。奇蹟は、常に起こるために存在する。起こらないことを、奇蹟とは言わない。

増田経済研究所
「日刊チャート新聞」編集長 松川行雄




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